熊襲が九州王朝を言い出すか 百済豪族が大和王朝を言い出すかの違いって感じに見える

ただ、ある程度知られてるのは歴史の捏造がかなり行われてきてるということと、帰化人すなわち移民が自分たちの歴史書を、旧約聖書ならびに新約聖書を真似て作り出してる部分もある。

聖徳太子が馬小屋で生まれたなんつー話も昔はされてきてるけど、それだってキリストの生まれが馬小屋だと広く文献で出回っていて、それをパクって作ったと言われてるのは昔からだ。聖徳太子の服装や持ち物に関してもどうもおかしいって話は学者たちからずーっと出ているわけだし。

どうして渡来系の人物たちが歴史上有名になり、日本での日本人たちの話は底冷えしてきたのか、逆におかしいと思わないのが不思議。

大昔から渡来系移民たちが移民のぶんざいで豪族語って片っ端から日本の住民たちを支配下にしめようとしてきたのは言うまでもなく、それと対抗しあってるのも、これまた移民なのだから、日本人が大昔からまき沿いにされてるのは間違いない。

なのでその支配者たちをあがめるのはもちろん移民を先祖に持つ人たちだということを、日本人たちは忘れている。

確かに大陸よりは小さい国だけども、少人数であちこちに生息してたとこにどんどん移民が力ずくで占拠し、権利語って力でとられてきているのだから。

その支配者層がどういう系統かによって、庶民の生活はがらっと変わる。


熊襲(熊曾)は、熊本県人吉市周辺(球磨川上流)から鹿児島県霧島市周辺にいた部族で、大和朝廷に抵抗した部族の一つ。大和朝廷に従った後に「隼人」として仕えたと言うのが現在の通説で、どちらも同じ部族を指すんだよ。
さらに、熊襲は隼人となって以降、治めている地域によって、大隈隼人、阿多隼人、多褹隼人、甑隼人、日向隼人などと呼ばれた。

ちなみに、鹿児島県の男子を薩摩隼人と言ったりするけど、これは近世以降に薩摩藩士や鹿児島県の男子の総称として使用されるもので、熊襲とは全く関係なし。

<補足>
厳密に言うと、熊襲日本書紀日本武尊物語、いわば伝説的な記録に登場する一族。一方隼人は平安時代初期までの歴史的記録の中に登場する一族。
日本武尊が活躍したとされるのが2世紀ごろ。日本武尊のモデルとなったのは5,6世紀頃かその前後の複数の英雄達だと言われていて、隼人が大和朝廷に服属したとされているのが5世紀ごろということからも、熊襲退治の元ネタとして隼人の服属というエピソードがあるのは間違いなく、熊襲=隼人と考えても問題は無いと思うよ。

近世では主に薩摩藩士に対して使われていたようで、薩摩藩士の先祖である御家人の多くは関東武士が多くて、熊本や鹿児島とは縁もゆかりもない人達だから、関係ないとするのが適当だろうね。

海幸彦が山幸彦に仕返しを受けるという日本神話(大和朝廷側の説話)は、隼人が大和朝廷に服属することを起源とすると言われていたけど、このエピソードは隼人の説話をヒントに作られたと言われているよ。