石津の戦いとお浜下り
石津の戦い(いしづのたたかい)とは、南北朝時代の延元3年/暦応元年5月22日(1338年6月10日)に和泉国堺浦・石津(現在の大阪府堺市一帯)において、南朝方の北畠顕家と北朝方の高師直が戦った合戦。石津合戦・堺浦合戦・堺浜合戦などの異名がある。
※このあたりから落ち延びて美濃方面から長野、あと静岡方面??に江戸時代までいたんだろうと推測する。
もちろんうちの仏像は真っ黒。持ち歩くたんび墨で黒く塗りつぶししてた。それは聞いてるから。
真っ黒というより黒光りしてる。
ずっとここらにいたわけではない。いれるわけがない。
相馬一族で乗っ取りしたんだから。
ただ、もといた場所に戻ってきたんだ。
そしたら、もといた場所に何があるか。
お浜下りっていうのが、いたソレ。
どーでもいいけど、この行事を赤の他人の宮司がやってるなんて身の毛もよだつ。
それ うちだから日吉神社で関わる事自体があり得ない。
昔は神仏合祀だったから、坊さんに世話にならずに済んだ。
天台宗が大好きなインチキ天皇と一緒にされては迷惑なので、仏像は比叡山からのものであっても、あたしは天台宗と関わりたくないし、山王という単語は天台宗にいる坊さんたちが生まれる前からうちが代々山岳信仰の形としておまつりしてきたものだから、天台宗と一緒にされては困る。それで他の坊さんに嫌がられても困る。
そうやってうちは昔っから先祖たちは苦労してきたんだ。
日本人を差別して武力行使でうちのものをみんなぶっ壊して燃やした相馬藩とインチキ皇室に対して、どれほどの怒りがあるか。
もぐりでやってくれる人にしか助けてもらえないような社会。それがインチキ皇室の作った日本だ。
うちがどんだけ迷惑こうむってきたか
心臓痛いーって嘆いてる場合じゃねーよ
キリシタン皇后さん。
日本はキリシタン国家じゃないから。
日本人の軸は天神信仰だから。