琢也ブログの仕掛けは、長いことそーなってたんだ。また書いてやる。

自分の言いたいことを、何かにかぶせて書く。

謝りたいときも

うれしいときも

悲しいときも

さびしいときも

それで、いつもあたしに通じてると思って琢也は書いていた。

だから客が勘違いしてきた。

勘違いさせるブログを書くなと指摘したのは
2010年の9月。

通じたらいいなっていういつでも夢



だからこのままで終わっていいわけないだろとかそういう歌詞を琢也は何度も書いてきたわけ。

一番逃げてたの琢也だから。

臆病者も琢也。

それをあたしを臆病者にしたりして歌詞を書いてきた。

それが琢也の歌詞の秘密。

自分がどれほど取り返しのつかないことをして逃げてきたか

仲間増やしてそれを正当化しようとした単なる卑怯もの


京セラ破壊騒ぎ焚き付けもこのお仲間さん達がしてたようですから、京セラの耐震補強工事費はパワープレイにしてもらいなさい。

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ばったもんは所詮ばったもんだ。