武烈王と武烈天皇
もうひとつは、滋賀に百済寺 大阪の枚方に百済神社というものが実在し、それは近江京のテリトリーでその神社仏閣の記録によれば百済王子が日本に逃れていたと記録がしっかり残っている。その百済という地域は今でいう朝鮮半島。
百済移民が日本にぞろぞろ来て王朝と言われるようなものを作り、拡大していったというのはあたしの調べてきた結果。
あと、この中大兄皇子の時に、歴史上「白江村の戦い」というものがあり、それが唐国のちの中国によれば当時の古文で
あたしは血統的にヤマトと過去書いていて、しかし奈良に縁がある気がしないと多々書いている。
あたしの系統ではない。
そーなると、日本の大和朝廷はどこにいつあったのか・・・
とにかく、あたしはいつかこの天皇の名前を見て調べた時に、この人は同じ人物か、あるいはパクった・・・思った事、
そして今 また思った事を書いておく。
調べてる最中なんだ。
前から思ってる。
武烈王(ぶれつおう、朝鮮語:무열왕、602年? - 661年)は、新羅の第29代の王(在位:654年 - 661年)であり、姓は金、諱は春秋。父は第25代真智王の子の伊飡(2等官)の金龍春(龍樹とも記される。後に文興葛文王と追封)、母は第26代真平王の長女である天明姫(後に文貞太后と追封)。『
- 死没:507年1月7日
武烈天皇(ぶれつてんのう、仁賢天皇2年 - 武烈天皇8年12月8日)は、古墳時代の第25代天皇(在位:仁賢天皇11年12月 - 武烈天皇8年12月8日)。 名は小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと)・小泊瀬稚鷦鷯天皇(-のすめらみこと、以上『日本書紀』)、小長谷若雀命(『古事記』)。実在した人物かどうかについては議論がある。
なので、その良く思ってない相手の軍隊の長を自分らの帝に作りあて、脚本で・・そんでキャラ的にはひどい人格の持ち主だみたいに貶めて書いたんじゃないかね。
だって書いてるのが中大兄皇子兄弟だぜ?? 白江村の戦いで船が沈んで血まみれになった軍だぜ??
いない人を作り上げた 実際にいたよその王のキャラを用いて日本史に書き換えた。
これが宮内庁の前身だよ。