なんつー偶然だ 今日 高麗豚 食ってきたのに・・。高麗人参もそこか 出どこは。


まずさ 何なの この ぐちゃぐちゃ感は・・・。

開拓民??  追われて虐殺??  ほんで孤児??  なんなのいったい。

これは何しに日本で行ってるんでしょうか。

インフラ整備だとしましょう。だったら、どこまでが日本人の仕事か

危険が発生した時 誰が責任者で 誰がどこに避難をさせるのか

こんなに明確性がないものは あたしはやりません。

むごたらしい事に巻き込まれてるだけじゃないの これ。

その広大な市域は牡丹江沿いの水田などのほかは8割近くが山岳部であり、原生林による林業高麗人参キクラゲの採取、石炭大理石石灰石などの鉱業なども行われている。

古代の渤海の領域で、寧安市渤海鎮には渤海の首都上京龍泉府の遺跡が残り、市域全体で多くの渤海墓が発掘されている。また寧安市の旧市街(旧称・寧古塔)には清代初めに寧古塔将軍が置かれ、清朝満洲支配の拠点となっていた。
牡丹江は満洲語で「穆丹烏拉(ムーダンウラー、ムーダンは曲がりくねる、ウラーは川)」とよばれ、「牡丹江(ムーダンチャン)」と当て字された。
牡丹江の都市としての歴史は短く、ここ70年ほどに過ぎない。一帯は牡丹江沿いの湿地帯・原生林地帯で人家のない荒地だった。ロシアが東清鉄道を敷設した際に(旧)牡丹江駅が設置され、の崩壊とともに多くの中国人や朝鮮人が入植し農業などを始めた。


満洲事変の後、満洲国が誕生すると、満洲東部の鉱業資源・林業資源開発のため、さらに沿海州ソ連赤軍ソ連軍)に対する将来の軍事作戦のため多数の鉄道が敷設された。その中でも重要な路線である、朝鮮に接する図們からロシアに近い拠点都市ジャムスへ向かう南北の計画路線(図寧線)と、既存の東清鉄道改め北満鉄道との交点に新駅を作り、林業・鉱工業・軍事の拠点を設ける事が企図され、寧古塔(現在の寧安市)の北方に新駅・寧北駅が作られた。これが現在の牡丹江駅である。
1934年に図寧線が全通すると寧北駅付近には数千人の日本人・朝鮮人らが入植し、さらに駅周辺に碁盤目状の都市計画が行われ、1937年12月に牡丹江省が分離、寧北駅付近の市街はその省都牡丹江市となった。牡丹江市には東部満州の拠点として関東軍が基地をおき、日本国内のさまざまな会社が木材加工・化学工業・食品などの工場を進出させたため一大工業都市として人口は急増した。また牡丹江の沿岸も日本人開拓団が多く入植した。一方、山岳部は中国人や朝鮮人による抗日部隊の拠点が置かれ、周保中らの第2路軍が活動していた。
1945年8月のソ連参戦により沿海州からソ連軍の大軍が攻め寄せ牡丹江省は最前線となった。関東軍部隊は各地で壊滅、牡丹江省内にあった開拓地の日本人農民はあるいは行き倒れ、あるいはソ連軍や中国人住民らに襲撃・虐殺され(牡丹江事件)、多くの死者を出しながら朝鮮北部方面へ引き揚げ、大量の中国残留日本人孤児が発生した。
牡丹江はソ連軍、そして中国共産党軍が占拠した。新中国成立後は牡丹江省はいくつかの再編を経て黒竜江省の一部となり、牡丹江市は中国でも有数の工業都市として多くの工場と移住者を集めることになった。
現在、中国東北部は沿岸部と比較して経済の格差が拡大し、牡丹江市では老朽化した国営工場の閉鎖とともに多くの住民が沿岸部に流出している。中国政府はこれに対して近年、東北部の経済活性化をめざして東北振興プロジェクトをはじめている。