履中天皇


まず神皇正統記というタイトルが出てきた時点で、確定。
南朝方。


履中天皇(りちゅうてんのう、仁徳天皇24年? - 履中天皇6年3月15日)は、第17代天皇(在位:履中天皇元年2月1日 - 同6年3月15日)。名は大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけのみこと)、大江之伊邪本和気命。中国の『宋書』に見える「倭の五王」中の倭王讃に比定する説がある(応神天皇もしくは仁徳天皇とする説もあり)。また古事記には「壬申年正月三日」に64歳で崩ずとの記事が見え、これが正しければ、在位期間が427年から432年となり、生年が逆算して369年という事になるが、定かではない。

略歴[編集]

仁徳天皇87年1月、仁徳天皇崩御住吉仲皇子皇位を奪おうとして叛するが、弟の瑞歯別皇子(後の反正天皇)に命じてこれを誅殺させ、履中天皇元年2月に即位。同2年、蘇我満智(まち)・物部伊莒弗(いこふつ)・平群木菟(つく)・円大使主つぶらのおおおみ)らを国政に参画させた。同4年8月、諸国に国史(ふみひと)と呼ばれる書記官を設置し、国内の情勢を報告させた。同6年正月に蔵職(くらのつかさ)と蔵部を興し(『古語拾遺』には内蔵を興すとある)、3月に病気のため稚桜宮で崩御した。『書紀』に70歳、『古事記』に64歳、『神皇正統記』に67歳。