だから霊山神社は伊勢北畠も含め 関与してたヤツが一切信用ないんだよ。ナイス入った。


大江は桓武平氏サイドなのになんで霊山神社に関わってる??

神道に大江も入ってたということか??

うちの先祖の前でよくもぬけぬけと、しゃしゃり出てきたもんだな

その神経 かなりぶっといんだと思うわ。

桓武平氏が来るとこじゃねーだろが まず。

だから霊山神社は伊勢北畠も含め 関与してたヤツが一切信用ないんだよ。

だから うちの事もまったく知らんというか、知らんぷり

図々しく宮司が居座って行事なんぞやってきたんだ。

大江一族 どこにおんの 逆に。韓国に行くのは大江だな~

桓武平氏のアキヒト親族とともに。韓国で必要とするかどうかは知らんが。

いいか霊山の行事関係者たち 黙されてたのを よく見るがいい。

あたしが そこに関与すべき血統の人間であって、いつもそちらに行ってた

伊勢北畠も含め 北朝の子飼いだから もう 背乗りされてたんだ。

それを信仰してた人たちいるのは とても あたしには泣けてくるレベルだ。

あと 八幡太郎と名乗った源義家に兵法を教えたって??

いいや うちの系統は 各々 苦労して逃げてそれぞれに努力して勉強した。

それを利用してるだけだ 大江は。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3







大江氏

大江氏(おおえうじ)は、「大江」をの名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣
日本の古代から近世貴族藤原と同じく本姓)であり、苗字ではない。

奈良時代[編集]

古代氏族である土師氏が源流とされる。桓武天皇が即位10年となった延暦9年(791年)に、縁戚関係にある土師諸上らに大枝の姓を与えた。

平安時代[編集]

866年貞観8年)には大枝音人が姓を改め、大江音人となる。大江氏には優れた歌人や学者が多く、朝廷に重く用いられた。中古三十六歌仙と呼ばれる和歌の名人三十六撰に、大江氏から大江千里大江匡衡大江嘉言、女性では和泉式部赤染衛門らが選出されている。大江匡衡の孫に、平安時代屈指の学者であると共に河内源氏源義家八幡太郎)に兵法を教えたとされる大江匡房がいる。 11世紀には、摂関家藤原氏を頂点とした家柄の序列が固定されており、大江氏は五位で地方国司、中級ないし下級貴族であった。その一方、家学学者でもあったので、文人貴族を輩出する事になる。[2]