南朝天皇を認めておきながら北朝で戦争をおっぱじめた。これが日本史。そんで北朝は中国からの逃亡移民豪族。


あたしの先祖は即位を認められてんだ 国から。それが大正時代。
ほんでその国のほうで大正天皇なんつーものを立て公に公表し、その背後にいたのは宮内庁前身。
その大正頃には、神功天皇が切手にされた事もフェードアウトした。
それは朝鮮総督府を大阪に作ったから。
朝鮮のインフラ整備始めたのも明治代の頃から。
もしあたしならば、インフラしてやんの??  んじゃー良心で幾分か やってやるか・・・とは思うだろうが
インフラ整備で行ってる連中が、なぜか戦争のまき沿いにされ出すのは一体なぜなんだ??
その謎こそ、日本には百済末裔と信仰者が幾分いた事を証明する形になる。
百済は白江村の戦いで当時の中国のくに、唐に負けて日本に移民してきている。その大量移民先が
現在の滋賀近辺。
この人たちは白江村で移民してきた歴史を代々受け継いできただろう事から、中国へ行けばその時の
復讐する行動をとると推察できる。
その関係者が関西に多く、だからこそ東北では差別用語として馬鹿が用いられる。
関西では阿保と言う。これ、馬鹿の由来は馬韓からきていると思っている最近は。
馬韓百済になってるからな。それと元が仲良くなっているのは、同じ移動民の習性によるもの。
南朝北朝の戦いは 八幡と平家VS桓武平氏源頼朝親子 
ちなみに源頼朝源満仲の遺産を他者にくれて、戦成績を作ろうとした親子なのは確定。
それがのちに、桓武天皇の子孫の天皇代を守護する立場をとっている。
桓武平氏と平家は別もの。
平家には平将門もいるけど、百済と折り合い悪くて戦になってるのが事実で八幡神託により新皇名乗った
のも辻褄が合う。新皇という単語でないにしろ、同じこと。
今の天皇家桓武天皇とされる血筋の流れ。教育部門にはキリスト教
過去、織田が一向宗狩りをやって豊臣が一向宗キリシタン狩りをやって、徳川では規制がかかったのも
今現在の状況と照らし合わせれば、正しかったと判断せざるをえない。
カルト狩りをした。それが戦国から江戸。
キリスト教が入ってきたのは室町時代。