【国際】高さ60メートル!世界最大の関羽像を制作―中国 [無断転載禁止]©2ch.net


あ そーいえば荊州 長江で思い出した

長江の船事件

あれもあたしは 中国へ なんかの因果があると示していた。

関羽が死んだ時 討ち取ったのは曹操とされているが、今日書いたとおり

曹操は人食いじゃないんだよ。それと対峙してた相手は人食い文化を持っていた。

曹操にあった正義っていうのは、人食い文化に民を食われないようにする事だったと

あたしは、曹操の変わりに現代中国へ教える。

何千年もの時を経て、そこにいる人たちへ教えてやれる。

それがどういう事だったのかは各々が感じ取って考えてくれればいい。

三韓征伐の血っていうのは、そもそも人食いじゃなく、人食いを退治してる側

だったんだよ。

この三韓っていうのは、馬韓も秦韓も含まれ 斉も含まれる。そしてそこには

人食い伝記が残ってる。

そして、過去 三重で多娥丸が人食いだったと伝説残ってるという記事を見た。

ここではっきり提示するが、多娥丸は海賊とされている。

つまり魚を食べれる。食す。その上で人肉食う必要あるか??

ちなみに、多娥丸が人食いだとしるしてるのは三重だけだろ。

他の地域で出てきたら それはそれで調べるが今のとこはない。

あとな、その多娥丸伝説がある三重の伊勢湾のとこから熊野古道まではすぐだ。

あたしはこれで熊野古道との縁を見つけた。自分の血が直感でここだと感じた。

人食いとされてる事が後に変わればいいが・・・・

人食いはな。桓武とその手下の坂上のほうだよ。歴史ちゃんと調べろ。

鬼ケ城か・・・鬼っつーのは魏の「つくり」が鬼だろ んだからだろと

前にも書いた。



【国際】高さ60メートル!世界最大の関羽像を制作―中国 [無断転載禁止]©2ch.net


現在の荊州市周辺は長江文明が栄えた地であった。6,000年前の大渓文化の遺跡も出土している。また春秋時代戦国時代の首都・はこの周辺を移動していた。古代の地域名である荊州はかつての九州のひとつで、前漢初期の十三州のひとつでもあり、現在の湖北省湖南省(「荊南」)にまたがっていた。
荊州は長江中流の水運による交通と物流の拠点で戦略上の要地でもあり、「兵家必争の地」とされた。後漢末期の赤壁の戦い荊州市域の東部の烏林で起こっている。三国時代には蜀漢)三国の境界の地となった。南北朝時代南朝は後期に建康から江陵に首都を移し、その後の後梁は引き続き江陵を首都とした。