ここの連中は、地元レベルでしか見てないので戦争責任を感じてもいない。改易じゃなく、永久戦犯認定。天皇命令だ。誰もこれをつくがえす事はできない。

なので天皇として、戦争責任をとらせるレベルの腹だ。

全国の南朝武将の悔やまれた戦での損失

天皇即位した事を地域で隠ぺいし、天皇家で隠ぺいし、県庁で隠ぺいしたために47都道府県の他の地域で南朝天皇

即位してた事も戦争前に陣営組んでた中枢だったことも知らさせていなかった。

第二次世界大戦前、天皇が二人いた陣営になってた事を多くの人が知らなかった。

その肝心な天皇潰しした連中のせいで、うちの派閥の関係者はみんなひどい目にあった。

あたし一人が騒いでると県庁も市関係者も思って小ばかにしていたから、そのしらっぱぐれた分の三倍記事にして

拡散する。あと、あたし天皇の記録簿として戦犯から絶対に外さない。

あと戦犯者たちのねつ造も消さない。みんな覚えておくといい。画像メモをとっても複写しといて。

あたしのブログを消す輩がいるから。

そんでは相馬中村藩のねつ造証拠

その1

まず相馬中村藩は平家名門ではなく人食い桓武桓武平氏のほうである。
平家は将門関係者。関東の武士軍団の一部はあたしの系統、河内源氏の人間のこと。それと平家は同盟にあり、桓武平氏は敵。その桓武平氏だ、相馬中村藩は。人食い桓武の手下で北朝

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相馬中村藩

沿革[編集]

平家一門の名家
であり、鎌倉時代初期の平泉遠征(1189年)後に陸奥国行方郡に移住して、7世紀前半の浮田国造領(陸奥国の宇多郡と行方郡)を支配下に収めて以来、1492年の標葉郡の領土編入を経て、戊辰戦争終結(1868年)までの約740年間に亘ってこの地を統治した。このような長期間の統治を行った領主は、島津氏(鹿児島県)、相良氏(熊本県)など極少数で、世界史上に比しても有数に長い統治期間だと言える。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%97%A9

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第16代当主・相馬義胤は、1600年に徳川家康会津上杉景勝攻めのため、小高城に帰郷した。まもなく石田三成が挙兵し、世に言う関ヶ原の戦いが起きた。

関ヶ原の開戦直前、水戸を本拠地とする佐竹氏の所領は53万石であった。周囲の岩城氏、多賀谷氏、相馬氏などの諸家は、養子縁組などによって親類関係によって事実上、源氏嫡流を称する佐竹氏を盟主としていた。しかも、水戸は徳川家康の本拠地である江戸に近いため、徳川氏が全国政権を握れば転封は必須の状況であった。

このため、相馬氏は関ヶ原の戦いに勝利して全国政権を掌握した家康によって、1602年に佐竹氏と共に一旦改易され、中村城と小高城を没収された。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%97%A9


その2

このウィキおかしいね。前までは北畠勢力を滅ぼした北朝サイドとしてゆうゆうと書いてたのに、その時代の事を書いていない。その北畠の子だからあたし。

そして、徳川家康はあたしの先祖のとこに幕府の金を運んできてたのは事実。その家康が、当時の朝廷に「お前らはすっこんでろ」まがいな態度をとったのは、家康はそのすっこんでろと対応した朝廷が百済朝廷だと知ってたからで、
家康はきちんとうちを探しだし、うちにお金を運んでいた。そして、伊勢神宮戦犯はここでスル-し、松尾芭蕉についてあげるが、松尾芭蕉はうちに出入りしていた。芭蕉庵の一部の出資は当時うちがやった。そしてうちには芭蕉の弟子扱いされたキフウの墓がある。その徳川幕府相馬中村藩は改易された。当たり前。



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水戸から秋田に飛ばされた佐竹義宣より秋田の地1万石を与えるので移るように誘われたが、義胤の嫡男・三胤(後の利胤)が改易撤回の訴訟を求めたため、義胤は佐竹氏の誘いを丁重に断って三胤を江戸に上らせた。1602年10月、蜜胤訴状文が届けられ、本領を安堵された。このとき徳川家臣の本多正信伊達政宗からのとりなしもあったという。対立関係にあった政宗からの斡旋は、政宗が1600年に家康より命を受け上杉景勝を北の信夫口から攻めるべく大坂からの帰国する際、中通りの白河から白石まで上杉領で道が塞がれていたので、相馬家臣の水谷胤重が政宗の領内通過に便宜を図ったためという。1607年には江戸城石垣普請に人夫600人を差出している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%97%A9



その3

大変申し訳ないが秀吉もうちの事を知っていた。秀吉の補佐そろりはうちの関係者だ。

曾呂利新左衛門(そろり しんざえもん)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/曾呂利新左衛門-18512 - キャッシュ
美術人名辞典 - 曾呂利新左衛門の用語解説 - 安土・桃山時代諧謔家。和泉生。刀の 鞘師を業とし、小口に刀を差入れるとよくソロリと入るのでこの名を称したという。豊臣 秀吉に仕えたが、話上手でその頓智咄は広く民衆にも親しまれた。また香道や茶道にも ...
辞書別に見る:朝日日本歴史人物事典-世界大百科事典 第2版


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1611年までに、天正時代以前に城代が置かれていた中村城を改修。これにより、相馬氏の本拠地は小高と中村のダブルフランチャイズから、中村のシングルフランチャイズに転換された。1612年、義胤は小高城より泉田へ隠居した。初代藩主を16代義胤とするか17代利胤とするかは、藩の成立が関ヶ原の戦い後か大阪の陣の後か等によって諸説ある。利胤および18代義胤の代には、高禄家臣の城下への移住、城下在住家臣の廩米知行化と在郷家臣の削減、都合三度の検地等により、近世大名としての体制が整った。又、19代相馬忠胤は、徳川譜代の土屋氏からの養子であり、720年もの伝統を持つ「相馬野馬追」に講武的色彩を加え、現在まで続く形式を確立した。また、鎌倉時代からの繋がりで、藩士の多くは藩内各地に知行地を与えられた。天明年間に発生した天明の大飢饉では大打撃を受け、領民の多くが餓死したり逃散した。これに危機感を抱いた藩の上層部は、密かに真宗教団と接触し、禁制であった移民を越中国(現在の富山県南砺市)などから受け入れ[1]、藩の立て直しを図った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%97%A9


その4

相馬藩のエリアも含む飢饉は当時3回ほどあって、その時に大量餓死している。


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また、先述の忠胤(3代藩主)の出自から、1659年には、中村藩も外様から転じて譜代並の扱いを受けることになった。第7代藩主・尊胤も1712年に譜代となり、以後は幕末まで譜代大名として帝鑑間につめた。

二宮尊徳の高弟を出し、報徳仕法の実践を触媒した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%97%A9


その5

その頃すでにこの藩主たちは、うちに泣きついてお金を貸してくれとタカリまくっていた。
それ以外にこの連中には、屋敷を放火されたりもした。

そんで貸した金は3万両だった。そしたらまた貸してくれと言って、また3万両コイツらは借りた。そしてまた3万両貸してくれとタカリまくってまた3万両を幕府に言って借りてやった。当時のその大金は幕府の金だ。それを個人的に借りらせておいて、貸し主はうち、借主は相馬藩。その賃貸契約書とも言うべき借用書のこの最低な藩関係者はゾロゾロときて、「借用書を出せ」って恫喝し、その借用書をとってそれを亡きものにしようとしたんだ。そんでこの藩主達は「借金の肩代わりにこれ置いて行くから」って勝手に長持持ってきて、うちに置いていった。それが相馬中村藩だよ。
その長持はうちの先祖がブロ-カ-来た時に2千で売ったという。なんでその連中の借金の肩代わりさせられる??
その長持が太田神社にあるから返せと言ってる。あたしが斧で叩きぶっ壊すとさいさん言ってる。あろうことか、八幡信仰でもあり山王信仰の本体でもあるうちに対してこんな事をした連中が、その当時の責任者とも言える藩主を総大将とし、野馬追いをやっているんだ。


あと二宮尊徳を堂々とあちこちに宣伝しまくったのもその連中。実際は藩で金なくてうちから金を借りたというとても身分と階級の低い人間たちで、あろうことか天皇に幕府の金を調達させ、その借用書を強奪した。


それ以外に借用書という領収書みたいなものが別にある。真野村の建築代金としての書面だ。

その真野村とは鹿島のことだが、それは相馬藩の領地だ。つまり、その9万両以外にもうちから金を出させてた最低なタカリ連中というのが歴史の真実だ。その歴史の真実を、あたしのうちがそこにあるためにねつ造したんだ。
その藩とインチキ天皇家宮内庁が合体して歴史を作り替えた。それが、相馬藩の宣伝歴史であり、野馬追いを正当化してきたあの連中の公務職権乱用という犯罪だ。その歴史つくりに関与したのは、テレビに出る昭和天皇の息子アキヒトと、その妹島津貴子と、アキヒトの姉池田厚子だ。

そんで池田厚子は、本来うちが出入りして行うべき霊山神社の行事をちゃっかりやってきた人食い皇族の人間。



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