なかなか優秀じゃないか 平岡定太郎


業績[編集]

樺太庁長官時代に、王子製紙大泊への誘致に積極的に関わり、樺太の製紙・林業の発展に寄与した。また、漁業改革にも着手し、樺太拓殖の父として、昭和5年(1930年)8月22日、豊原樺太神社銅像が建てられた。
  • 樺太庁長官時に施行された主な政策
真岡支庁海馬島出張所廃止。
刑法刑法施行法監獄法公布。
有償貸付地売払規程施行。
樺太庁郵便電信局豊原に移転。
国境付近土地建物貸付禁止公布。
関税法関税定率法噸税法公布。
度量衡法公布。
印紙犯罪処罰法施行。
煙草専売法公布。
樺太庁官制改正公布。
林野火入取締規制公布。
真岡支庁管内に泊居出張所新設。
家畜去勢規則公布。
樺太長官辞任決定した翌々日、大正3年(1914年)6月7日の『樺太日日新聞』には、「(平岡氏は)本島に赴任して以来満六年、樺太庁治の殆んど当初より、今日に至るまで、営々として本島の拓殖に之れ計るの外又他意無く、一意に帝国が北門の鎖鑰を開発するに努めたるを顧ふに於て、吾人は氏の今回の辞任を以て大に追惜の念を禁ずる能はず。平岡氏は世人の熟知する所の如く、人面玲瓏たる人材にして、而も極めて積極主義の人なり。僅少なる財産と、僅少なる国庫補充金と、僅少なる財源の伸張力とを以て、能く樺太に積極的なる拓殖方針を試みたる人也。真価を世間に認められ居らざりし本島を、巧みに中央に紹介して、真の経済的価値を世間に示し、以て有力なる事業家を本島に誘致し、拓殖と産業の隆興とを民間事業界の発達に求め、樺太庁と民間と相俟って、急速なる拓殖の進歩を計らんとする、極めて巧妙なる拓殖方針を定めたる人也」と記され、その在任中の業績を高く評価している。