【写真特集】IS侵攻で破壊の危機、シリアの世界遺産パルミラ遺跡


まずAFP 写真を借りる。

これだ この角度。ここを入り口と見た この配置。

よく気づいたな。この写真が この土地の配置の肝心要をとらえた。

だからこの門は正門。

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「軍人皇帝時代」にパルミラ王国が成立し、270年頃に君臨したゼノビアの時代にはエジプトの一部も支配下に置いていた。しかし、ローマ皇帝ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスは、当時分裂状態にあった帝国の再統一を目指してパルミラ攻撃を開始。
273年パルミラは陥落し廃墟と化した。


つまり、古代ローマ帝国が徹底的に破壊し廃墟にした。



歴史[編集]

パルミラの近くからは、約7万5000年前の旧石器時代の石器が発見されている[2]。ユーフラテス河畔のマリ遺跡で発掘された紀元前2000年代ごろの粘土板からもこの都市の名前(Tadmor、または Tadmur、または Tudmur)と思われる記述が見つかっている[1]
旧約聖書歴代誌第二、8章4節では、古代イスラエルの国王ソロモンが荒れ野に「タドモル」の街を築いたと記されている[3]列王記第一の9章18節でも、ソロモンが築いた街や基地の中に「תמר」(タモル Tamor またはタマル Tamar)の名がみられるが、伝統的にこの部分は「タドモル」と読むことになっており、タルムードミドラーシュの冊子にある注釈のいくつかではこの街をシリア砂漠にあると記している。フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第8巻においても、タドモルはソロモンが創建したと書かれ、ギリシア語のパルミラの名も併記されている。現代ヘブライ語においてもパルミラはタドモルと呼ばれる。
タドモル(パルミラ)の人々はアラブ人であったが、アラム語の方言(パルミラ語)を話し、アラム文字を手直しした独自の文字(パルミラ文字)を用いていた。パルミラ文字は今も遺跡の各所に残る。

ユダヤが作ったものならば、ここまでユダヤは廃墟にする必要あるか??
起源を主張するあの連中が、自分らの起源のひとつになるものを壊すか??
さいさん書くが、旧約聖書新約聖書ユダヤ人が書いたものであり、ユダヤ人は自分たちを神の使いだと、神に変わる預言者だと、何千年も語ってきたが、あたしからすると詐称でしかない。神に殺されかかったのはユダヤで、大洪水で死に損なったのもユダヤ人のほうなんだが、そんな子供騙しの文献でいつまで古代の思考が受け入れられると思ってるんだろう。とあたしは思う。
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ローマ帝国は、以後パルミラをローマ軍団の基地に変えてしまった。ディオクレティアヌス帝の時代には、ペルシアの侵攻に備えてさらに多くの部隊が駐留できるよう規模が拡大され城壁で囲まれた。

ローマ以後[編集]

東ローマ帝国の時代、パルミラに新たに建設されたのはいくらかのキリスト教会のみで、市街の大半は廃墟のまま放置されていた。6世紀、遺跡とオアシスを見下ろす丘の上に砦が建設されている。634年、最初のムスリムパルミラにたどり着き、次いで636年ハーリド・イブン=アル=ワリード率いる正統カリフ軍がパルミラを占領し、アラブ人イスラム教徒が支配する町となった。800年ごろから数少ない住民もパルミラを去り始め、1089年の大地震で被害を受けた後は完全に放棄された[9]カトリック教会は、現在もパルミラに名義司教を残している[10]

ベル神殿[編集]

パルミラで最も目を引く建築物は、「中東において紀元前1世紀の最も重要な宗教的建造物」とされるバアル(ベル)の大神殿である[17]


紀元前1世紀から3世紀までは、シルクロードの中継都市として発展。交易の関税により都市国家として繁栄。ローマの属州となったこともある。2世紀にペトラがローマに吸収されると、通商権を引き継ぎ絶頂期に至った。この時期、パルミラにはローマ建築が立ち並び、アラブ人の市民は、東のペルシャパルティア)式と西のギリシャ・ローマ式の習慣や服装を同時に受容していた。

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そこな。ペルシアと古代ローマの利益を享受した場所だ。
それを奪い合いして壊しあって そこはそうなったのな。
もともと、ペルシアにユダヤ人は解放された経緯あんだよ。本来はバビロンに働きに来ていたユダヤだ。
ところが、そのペルシアになんぞ、これっぽっちも恩恵など感じないんだよ。
ユダヤ教徒たちは。
ユダヤ教からイスラム教とキリスト教が生まれた。
しかしそのユダヤ教自体はバビロンにいたユダヤ人たちが作った倫理観や価値観だ。
だから、そのパルミアのとこな。あたしがもらい受ける。バビロンがそこを持てば、間合いが出来るので、なかなか戦争になりにくくなる。
バビロンの聖地と位置づけ、そこにバビロンを置けばいい。
ベル宮殿というのはバビロニアに対しての信仰を残した人たちがいるんだ当時。
キリスト教イスラム教の親がユダヤ教ならば、それを治めるのはバビロンしかねぇ~から。
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そしたら日本人がそこを??ってなるとしても、たぶんそれが一番現地ではいい
はずだ。あたしが生きてる間にそこへのプランを出すから、
各々身を引いて、バビロンのものだと思ってそこに携われば、独占欲も抑えられる。
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そしたら今後
発掘作業と過去の記録図面を照合していってるんだろ??意外と広大だからな。
必要なのは、区画だ。まず区画。エリアを分ける。分けて図面に起こす。
そして、色として見れば同じ色 一色なんだけど、区画していったら、目印に木杭を
打ち込んでおく。長さで1m地表に出して、木杭には赤ペンキで着色しておくこと。
長さ。エリア明示。あと砂地、砂礫地面だから、風で砂が飛ぶ。目印は今後大事なポイントになる。方角を示すのも必要。東西南北な。
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あとそのエリアは、ローマ系のものとペルシア系のものが出てくる。
お互いいたことは事実なんだから、物を隠蔽したり壊したりし合うのは、
おかしいだろ。両方出てくるのが前提。
片方しか出てこなければ、出てくる数の多いほうが、
出てくる数の少ない文明を壊した可能性も高いと思われる。
出てくるものをどこに展示するか、あるいは納品するかが今後議論になるはず。
あたしから提案するとしたら博物館のようなものをそのエリアのどこかに建造し、
それを保管、あるいは展示する事。
お互いに壊しあうならば、同じ建物に入れてはいけないんだけども。
壊しても、この先の未来でまた出てくるぞ?? 消えはしないって事を断言しておく。
どちらかを消しても、「あったはずだ!」「いや ある」
この先も人々の文献からあったものを消す事は出来ない。
逆に「やりました」「ありました」と書いておいての、「やっていませんでした」
「ありませんでした」という検証は大衆から間違いなく指摘される。
隠蔽や捏造で何千年 人を騙させると思ってるんだよ。
そこまで人類は何千年も学問を通じ、あらゆる情報を取得できる時代なのに・・・。