んじゃ、パルミラをバビロンの川と仮定しよう

その川の片側には、野生の熊が生息している。

その川の片側には里の民が生活している。

その川を挟んで。

その熊は、腹が空いたら川へ行って魚をとって食べる。

その代わり、川を汚す事はしない。

その里の民は、その河川から田んぼに水を引き込んで稲を作る。

その代わり、川に棲む生物の生態系を壊さない。

しかし、その熊が川がなくて、いきなり里山へ来たならば 突然出会い頭の事故に

合う。驚いて里の民を襲ってしまった 防衛本能で。

襲われた里の民は、襲われた事に激怒し、山へ行って熊を殺す。

事故なんだ こういうのって。

交通事故では、事故にあわないために、こうしようっていう約束ごとがある。

それと一緒で生活圏にも約束事があると、事故防止ができる。

事故が減れば、お互い傷つけあわずに済む。

どっちが熊とも里の民とも決め付けないよ。例えばの話だから。

んじゃ この川は俺のだってやらなきゃ まず騒動にはならない。

そして、その先 騒動が起きる場合は・・・

熊が魚をとりに行ったら魚がいない

里の民が水を引き込むのに、干ばつで川が干上がり 水がなくなった

これを防げれば 平和だったのに・・・ってなる。

だから この秩序を維持するための 人間の介入が必要になってくる。

人の介入はあって熊の介入はない。

そうなった時 熊は俺に介入する権利はないのか!って言い出したら

んじゃー熊は土建やれるか??  人件費払えるか??ってなった時 出来ないんだよ。

その出来ないのが当時のユダヤだ。

「熊はちょっとここ治水するから、入ってくるなよ」

とか言われると憤慨して、それを邪魔したら 魚はとれない 水は引けない

っていう悪条件のまんまなんだよ。

それをちょっと山に引っ込んでるか こうしててくれって人間が言ったら

それを飲んで良くなったら また享受させてもらうって立場になってしまうのは

熊だから。

大工も出来んし、スコップで掘る事もできん。

それを人間がやってるのを破壊されてるとなって、人間襲ってきても

治水は出来んのさ。

そうして、治水をダメにしたら、川が干上がって 熊も死ぬか 違う山へ移動。

人間も同じ、移動するだろう。

そうしてその土地を捨てるようになる。そして川は恵みを作ってたはずなのに

恵みをもたらさないと言って、地図からもなくなっていく・・・。

ここに川があったの??って、かなり後になって調べる人がいるかどうか。

そんで中東でやってるのは、熊が俺の川だって里の民を襲って人民はいなくなり

干上がった川の少ない水の元で 命からがら生きてる感じ。

あるいは、できねーだろ!と言って、熊を大量に死なせて襲われないように

しようっていう人間の所有欲での殺害。