相馬大作事件に関する手紙だった これ

ようやく見つけた この事件についての書面だ これ

書かれた時期は文政頃 徳川第11代将軍

あたしんちがいかに幕府とつながりあったかという書面だろう 

だって あたしんちで 浅草の門いったいの土地 買占めしたって言ってたもの

これ 字 読めますか??

あとたぶん 榊原源氏の書面 

前 相馬大作で検索かけても出てこなくて放置してた。ようやく繋がった。

ウィキにしてくれてありがとう よーやくこの文面が何だったのか

見えた。

相馬大作事件(そうまだいさくじけん)とは、文政4年4月23日(1821年5月24日)に、 南部藩士・下斗米秀之進(しもとまいひでのしん)を首謀者とする数人が、参勤交代を 終えて江戸から帰国の途についていた津軽藩主・津軽寧親を襲ったテロ事件・...

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首謀者は盛岡藩の下斗米秀之進(しもとまいひでのしん)、偽名「相馬大作(そうまだい さく)」を名乗っていたことから「相馬大作事件」と呼ばれています。 寛政元(1789)年、 盛岡藩二戸郡福岡村(二戸市)に生まれた秀之進は、18歳で江戸に出て名剣士として 知 ...

相馬大作そうまだいさく(1789―1822). 南部(盛岡)藩の浪人。檜山(ひやま)騒動(南部 騒動)の首謀者。本名は下斗米秀之進(しもとまいひでのしん)。父は南部藩士。1803年( 享和3)15歳で江戸に出、平山行蔵(ひらやまぎょうぞう)(子龍(しりょう))の門に入り ...

相馬大作事件

相馬大作事件(そうまだいさくじけん)とは、文政4年4月23日1821年5月24日)に、南部藩士・下斗米秀之進(しもとまいひでのしん)を首謀者とする数人が、参勤交代を終えて江戸から帰国の途についていた津軽藩主・津軽寧親を襲ったテロ事件・暗殺未遂事件。
秀之進の用いた別名である相馬大作が事件名の由来である。杜撰な計画と、事件前に裏切った仲間の密告により、津軽寧親の暗殺に失敗したため、秀之進は南部藩を出奔した。後に秀之進は幕府に捕らえられ、獄門の刑を受けた。


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