クマって意外にグルメ通だな やっぱそーか これも昔から食べてたんだ


マイマイガが食べるか クマが食べるか

マイマイガが駆除されればクマが食す クマが食しなきゃ別な動物が食す


全国各地でクマによる被害が相次ぐなか、神奈川県内でもクマが目撃されています。カメラは「の実」を食べるクマの姿を捉えていました。-テレビ朝日系(ANN)-1日前

クワ


クワ(桑)は、クワ科クワ属の総称。カイコの餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用される。

生薬[編集]

ログワの根皮は桑白皮(そうはくひ)という生薬である。(日本薬局方による)
利尿、血圧降下、血糖降下作用、解熱、鎮咳などの作用があり、五虎湯(ごことう)、清肺湯(せいはいとう)などの漢方方剤に使われる。
また、葉をの代用品とする「桑茶」が飲まれていた地域もあり、現在も市販されている他、若くて柔らかい葉は天ぷらにして食べることもある。桑葉には1-デオキシノジリマイシン(1-deoxynojirimycin; DNJ)が含まれていることが近年の研究で明らかになった。DNJ はブドウ糖の類似物質(アザ糖類の一種)であり、小腸において糖分解酵素α-グルコシダーゼに結合する事でその活性を阻害する。その結果、スクロースマルトースの分解効率が低下し、血糖値の上昇が抑制される。クワを食餌とするのフンを乾燥させたもの(漢方薬である蚕砂)も同様の効果がある[2]

果実[編集]

果実は桑の実、どどめ、マルベリー (Mulberry) と呼ばれ、地方によっては桑酒として果実酒の原料となる。その果実は甘酸っぱく、美味であり、高い抗酸化作用で知られる色素・アントシアニンをはじめとする、ポリフェノールを多く含有する。旬は4月~5月である。キイチゴの実を細長くしたような姿で、赤黒くなる。蛾の幼虫が好み、その体毛が抜け落ちて付着するので食する際には十分な水洗いを行う必要がある。 また、非常食として桑の実を乾燥させた粉末を食べたり、水に晒した成熟前の実をご飯に炊き込む事も行われてきた。 なお、クワの果実は、キイチゴのような粒の集まった形を表す語としても用いられる。発生学では動物の初期胚に桑実胚藻類にクワノミモ(パンドリナ)などの例がある。

養蚕とクワ[編集]

地図記号にもなったほど、日本で桑畑は良くある風景であった。しかし、現在、養蚕業が盛んだった地域では、生産者の高齢化、後継者難、生糸産業全般の衰退の中で、株を抜いて畑等に転用されたり、放置された桑畑も多く残る。クワの木は成長が早く、大きく育つが、幹の中が空洞であり、若い枝はカイコの餌にする為に切り続けてきたので製材できる部分が少ない。養蚕業が盛んだった頃は、定期的に剪定等の手入れが行われていたクワ畑であるが、樹木としての利用は前述の様に、幹の中が空洞で製材できる部分が少ない故に、養蚕以外でのこれといって有益な、あるいは利益の高い利用法が無い。放置された結果として、現在、森の様になっている畑も多い。しかも、こうなってしまった以上、前述の様に高齢化した管理者にとっては、これを整理することを物理的に更に難しくしている。毛虫がつきやすい樹種でもある為、憂慮すべきことである。
他方、近年、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として、注目を浴びてきてもいる。
ちなみに蚕が食べるのはヤマグワである[3]

木材としてのクワ[編集]

クワの木質はかなり硬く、磨くと深い黄色を呈して美しいので、しばしば工芸用に使われる。しかし、銘木として使われる良材は極めて少ない。特に良材とされるのが、伊豆諸島の御蔵島三宅島で産出される「島桑」であり、緻密な年輪と美しい木目と粘りのあることで知られる。江戸時代から江戸指物に重用され、老人に贈るの素材として用いられた。国産材の中では最高級材に属する。
また古くから弦楽器の材料として珍重された。正倉院にはクワ製の楽琵琶阮咸が保存されており、薩摩琵琶や筑前琵琶もクワ製のものが良いとされる。三味線もクワで作られることがあり、特に小唄では音色が柔らかいとして愛用されたが、広い会場には向かないとされる。
なお、幕末には桑の樹皮より綿を作る製法を江戸幕府に届け出たものがおり、1861年文久元年)には幕府からこれを奨励する命令が出されているが、普及しなかったようである。桑の樹皮から繊維(スフ)を得る取り組みは、第二次世界大戦による民需物資の欠乏が顕著となり始める1942年(昭和17年)ごろより戦時体制の一環として行われるようになり、学童疎開中の者も含め全国各地の児童を動員しての桑の皮集めが行われた。最初民需被服のみであった桑の皮製衣服の普及は、最終的に1945年(昭和20年)ごろには日本兵軍服にまで及んだが、肌触りに難があった事から終戦と共にその利用は廃れた。

神話・伝承[編集]

古代バビロニアにおいて、桑の実はもともとは白い実だけとされるが、赤い実と紫の実を付けるのは、ギリシャ神話の『ピュラモスとティスベ』という悲恋によるこの二人の赤い血が、白いその実を染め、ピュラモスの血が直接かかり赤となり、ティスベの血を桑の木が大地から吸い上げて紫になったとされている。
桑の弓、桑弓(そうきゅう)ともいい、男の子が生まれた時に前途の厄を払うため、家の四方に向かって桑ので蓬のを射た。起源は古代中華文明圏による男子の立身出世を願った通過儀礼で、日本に伝わって男子の厄除けの神事となった。桑の弓は桑の木で作った弓、蓬の矢はの葉でを矧いだ(はいだ)矢。
養蚕発祥の地、中国においてはクワは聖なる木だった。地理書『山海経』において10個の太陽が昇ってくる扶桑という神木があったが、羿(げい)という射手が9個を射抜き昇る太陽の数は1個にしたため、天が安らぎ、地も喜んだと書き残されている。太陽の運行に関わり、世界樹的な役目を担っていた。詩書『詩経』においてもクワはたびたび題材となり、クワ摘みにおいて男女のおおらかな恋が歌われた。小説『三国志演義』においては劉備の生家の東南に大きな桑の木が枝葉を繁らせていたと描かれている。
日本においてもクワは霊力があるとみなされ、特に前述の薬効を備えていたことからカイコとともに普及した。古代日本ではクワは箸や杖という形で中風を防ぐとされ、鎌倉時代喫茶養生記においては「桑は是れ又仙薬の上首」ともてはやされている。