しかし相馬藩の人間と仙台藩は放射能風呂でとけて消えたらいいんじゃないか

あと あれだ。整理してる最中だけど顕家の長男の子孫がうちに入って

多田野相続してるってじいちゃんの文書にあるから。

だからこそ 霊山神社の世話役にもなってたし文書もあるのに 霊山神社宮司

うちのじいちゃん達が死んだ事をいいことに、行事なんつーのは宮司が仕切っても

できるだろーが

うちの経歴を抹殺したんだ。

だから全国の宮司は信用できないから今後 賽銭なんぞ入れるなってあたしが通達

書いたんだ。

ほんで文四郎と與惣治が死んだ後に、顕家の子供の記録は出し

さらに奉戴踊りの話は書き換えし

それをあたしのじいちゃんに渡したんだぜ この編集者たちは。

昨日あげた便箋の中身を書いてるのはあたしのじいちゃんだ。

これで霊山神社宮司がどこから金をもらい どこの利権で動いて身分差別を金で

やったか はっきりしてきたな。

あたしはものすごく怒りまくってるんだ。

あげく あたしのじいちゃんが書いてたものに記されてる。

顕家の錦の旗 天保8年に鹿島で焼失だとほれ。

天保8年に今村幸之助という家から火が出て鹿島大火になったって??

だからさいさん書いてる 相馬藩は放火と窃盗と強奪ばっかりの歴史であって

相馬藩の金はあたしんちから借りた金だって。

その相馬一族は 1000年以上も歴史があると嘘をつき野馬追いやってる盗人盗賊

だと。

あとまた書くが うちでは大熊から亘理までかなりの土地を持ってた。

つまり伊達藩エリアなんだ 亘理っつーと。

それについての借用書やなんかがない。土足でガタガタ上がりこんでいつでも

窃盗していったってことだ。相馬藩の人間たちが。すぐそこらにいる人間たちの

親や先祖たちが。

これをあたしんちで武士道を掲げ ずっと我慢強いられてきたのな。

商いはなんたらっていうのは 武士道と一緒。

土足で何度もあがりこんで オラオラと盗人盗賊やってきた相馬藩と伊達藩から

移植した鹿島の桑折関係者は南朝つぶししてきた北朝であって南朝なんかじゃないし

そのじいちゃん達が掲げた武士道は 何のことなく破るから あたしは。

そのきれいごとのために、守れないものが多々あった。

このセリフは過去 何度か書いている。

     これが大正時代 文四郎と與惣治が作ったもの↓
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   これがあたしのじいちゃん源孫が受け取った昭和11年の霊山記↓
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