また嘘八百やってる 本当にこの関係者はみんな死なないとダメだ

まず北畠研究家とかいう本は一切買わないように。

これいつ編集しなおしたかわからないが、あたしんちの家系に関わる被害っぷりは

ハンパない。その加害者だ 大江も日野も。

そして大江の娘が松代だと、大江氏の子孫坊主が霊山神社の発行物で記事を出した

その時期が昭和11年あたりだ。あたしはそれを過去あげてるぞ??

その大江の坊主はまったくと言っていいほど、松代の事がわかっていないと書いた。

だから第三子発言捏造元の相馬藩に合わせるような内容を書いてたんだ。

だから、コイツは加害者認定だとした。そして、まったく松代の事をわかっていない

と書いた。

ここに書かれてる妻というものは、松代か 萩姫か どっち??

この内容ってな 松代の記事のとこに書いてあった内容だ↓

あと わかるとおり、あたしんちが正真正銘の顕家の子孫家系だ。そのあたしんち

が守るべきものを、俺のものだ 俺たちのものだと言ってきたのは相馬藩の人間だ。

そのせいで、あたしんちのじいちゃんや先祖に汚名をかぶせ、イジメのような事を

集団で長らくやってきたのは相馬藩だ。これをみな殺しにしないでどうする。

松代のとこに書かれてた内容と一緒だと言うのは顕家の死後尼となって菩提を弔い

続けたというところで、場所が違うな これだと河内になってる↓

松代のは場所が書いてあったかどーか 記事を探してみるが。

つーかな はらんで子供を産んだのは松代のほうだ。萩姫との間に子供ができた

などというのは、日野氏サイドの捏造だろう。

20才そこそこで死んでるのに、せいぜい作っても2人。

現実 あたしは2人だと言ってる。その日野氏の娘が萩姫で??  

顕家の菩提を弔った??  婚姻関係もないだろう 勝手に当時いいなづけにでも

してただけで・・・と過去書いてるはずだ。

よーするに、嫁として脇に出てくる存在ではないに等しいのが萩姫だって書いてる。

戦に明け暮れて あちこちに移動して歩いてる ましてや死んだ年齢が20才そこそこ

なのに、それが霊山にいて2人子供ができたものの、その二番目は長男であって

その顔を見て死んだのかどーかさえ、あやしいのに、どこに萩姫と子作りしてる

場所 時間ある??  

あつかましい事やってると、あたしはえんえんと徹底的に追求するから。

そして、松代でさえ嫁とははっきりいいにくい。

なぜならば侍女みたいなものだから。ただ、顕家の近くにいつもいて、大事にされて

いた存在ではあった。今でいう入籍という形がとれない時代であったにしろ、内妻

という立場では十分に通用するのが松代だ。

そこに萩姫の出る幕はない。霊山に来てたのならば、どうだかわからんが。

そして顕家の霊山城での遺産は伊勢でもなく、青森でもなくうちにあった。

相続してきたのがうちだ。

それが嫁だったからどーのこーのと脇から出てきたところで、その連中に顕家の遺産

渡ってるか??

うちから相馬藩が窃盗し横流ししたであろうものが他所で、「うちが北畠だ」という

ぶつになったのならば、なおさら相馬藩は成り済ましする人間から金をもらい

あたしの家系が守るべきものを土足であがっては持ち出し、売りまくってたという

ことになる。そのスタンスが、ついこのまえまで続き、あたしがここまで時間を

使いあちこち見て歩いて書物を調べて、1年にわたりかけたこの労働で嫌な思いして

嫌な思いさせられたじいさんばあさんの、そのまたじいさんばあさんが、子供には

こんな事がなかなか言えずに腹に抱えて死んでいってるのを知ったわけだよ。

それを、あたしが嫌な思いしてここまでわかったのは、じいさんばあさんが口にでき

ずに死んでいったものに対する抱えてた憎しみ悲しみ悔しさ すべてだ。

そのあたしの家系のまわりでオラオラと勘違い武士道やってるんだから、刺し殺し

たいよねぇー

死んでいった先祖たちも刺し殺したかったと思うよー ものすごい大量に。

あれだな 大量のデータと冊子 本の山だから、探すのがめんどくさい。

ただし、過去 松代は丸森の寺で菩提を弔ったと解釈した記憶がある。

だから丸森のどこの寺だ??って探した時期があったんだ 今 思い出した。

つーことは、この大阪河内の話は、また別に出てきた話。そしてそんな話の出どこ

が萩姫の家系 日野氏ってこと。

松代が尼になったというその記事は、日吉神社の死んだ森と、霊山略記の大江氏の

子孫記事から出てくる。

しかし、勘違いしてんのは、その大江

あたしんちが遺産守ってきた家系だ。そこの大江はな松代の事もよくわからない

名ばかりの大江だ。しゃしゃり出てくることで、こういう連中がまた捏造連合つくる

んでは、あたしは大変な迷惑をこうむる。しゃしゃり出てくる立場にないから大江。

な?? どこの大江だ こんなものを大正時期にやってる証拠は残ってる。

なのに、なんなんだ あの霊山略記は??

うちが相続者だったのに、あえて あたしんちが相続者でないように作った記事を

書いた犯人は大江だ。

大江氏が書いた記事だ 第ニ子が女で真野で生まれたと捏造記事書いた犯人は。

タイトルで出してやろうか

大江氏が捏造犯の一人だって。

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顕家の死後、6月21日に日野資朝の娘である妻は河内国歓心寺で尼となり、その菩提を弔い続けた。