今日来てた釜石の子たちはラッキーだったな。今日の体験と重ね合わせて将来役に立てなさい。

ちなみに釜石

下がれと命令形で当時書いてたのはあたしだ。

「下がれ 死にたいのか」

そう書いてたんだ。

もしこの先 将来 津波にあうことはなかったとしても大雨水害ぐらいならば

じゅうぶん あり得るからな。

その時 自分で危険を感じた時 自分らで判断するんだ。

その目を養うことが重要。

そして引率してくれた先生がこの先 老人になった時 もし被害にあいそうに

なったとして、その時 その子らはじゅうぶん 大人になってる。

老人になった先生であっても、おぶってでも逃げるかどーか

それは 今は車で送迎してもらってて守ってもらってる立場でも

将来は逆転する。

その時 先生か 老人か 親か 知人か 見知らぬ人か

その時 このような事があったら、自分自身はもちろんのこと

それ以上に他人を助けるかどーか

そんなのは、その子の気持ち次第って事だ。

その軸となる部分の形成とは、まさしく日々生きてる今がそう。

自分が助かってなおかつ他人を助けるってことは、それだけの鍛錬や体力・知力

すべてにおいて必要。



だから体力づくりも学校の勉強も必要なんだ。

だから自分のために学校に行くんだよ。人のために行ってると思うと良くない。