これかな??むっちゃ発信があったのは・・・

すごい光を発してたんだよ 写真見てもさ。

強い光だね

なんか あたし 呼ばれたんじゃないかと思うぐらい。

そんで これを見つけた。

これ 守ってくれという感じなのか

ということでチェックメイト

これ 今度は百済に渡さないよ。もちろん 日本の神は天皇だと言って貢がせた

過去など あたしが学習してる以上 バレてるからね それは詐欺だから。

これと、あと隕石なんたらもあるようだね。

まさか この時代に金とは 夢のような話だけども、採られまくってもうないだろ。

そこを次回 確認できればと思うが、そこの現状確認だけしててほしいな。

そんじょそこらのオーブとは違う。

もしかしたら高貴な方なのか・・・

郡山の采女池での光もそこらのオーブとは比べ物にならんがあれは日中起きたこと

だけども。

こんなの今まで見たことないな・・・・

さみしいと思っても ちゃんとそこにたくさん生きてるから。

お互いに握手できないだけで そこにいる。

それが祟りを起こすか 守ってくれるかの違い。

今の直感だけど唐の入り江か そこ??

唐となりゃ こっち系だよ。

あと奥州藤原はそもそも 藤原南家だったと思うぜ?? 藤原北家の人間に藤原北家

に書き換えられたんじゃねーの??



平重盛が唐の育王山に金を出したと書かれてるようだけど これは桓武平氏でなく

平家のほうだと思うぜ??

そしてな 天台宗だから中尊寺は。

その天台宗というのは源満仲の頃も後醍醐天皇頃も 天台宗の本体にいたのは

南朝。それが確定してる理由には、うちにある本尊は天台宗にあったもの。

顕家の頃には天台宗はそもそも南朝勢がいた。

途中から北朝にとって変わられた。

その経緯もあって、そもそもは南朝だったはずだが、たぶんどこかの時期に

誰たちなのか そっくり背乗りしてる勢力あるよね。

あとそのエリアは平泉ナンバーも走ってたよね。

そこ 義経信仰があるようだけども義経は頼朝に命を狙われたためにそこに

入った。

義経と頼朝は合わない。頼朝の嫁が百済だから。

義経と同期は義仲 義仲の仲って、満仲の仲とってると思うよ そして。

源平合戦で滅ぼされたのは結局のところ 源氏ではなく 百済以外。

平泉が北家なら義経を匿ったりしないからね。北家と百済だから 連合的に。



玉山金山

玉山金山(たまやまきんざん)は、岩手県陸前高田市竹駒でを産出した鉱山である。マルコポーロ東方見聞録にある「東方に国あり、その名ジパングという。その国で特に驚くべきことは金の多いことである。その金は掘れども尽きず。」の主体が当山であるとされる。

概要[編集]

玉山金山は、氷上花崗岩中の金が異常濃集した熱水鉱脈鉱石として採掘し、同時に美しい水晶を大量に産出したため、水晶(玉)の出る山という意味の「玉山」と名付けられたとされる。玉山金山は「陸奥の金」として日本で初めて金が発見されたと伝えられる金山のひとつで、天平の時代にはすでに砂金のかたちで金を産出していたとされる。その産金は奈良東大寺の大仏に使われたほか、奥州藤原氏の黄金文化を支え、中尊寺金色堂にその産金量の膨大さが見て取れる。藤原清衡に10万5000両もの金を贈り、朝廷に年々四貫目の金を朝貢して殿上人を羨望せしめたといわれる。平重盛が唐の育王山に寄贈した3500両の金も当山産出とされる。戦国時代には豊臣秀吉が直轄として金山奉行を配し、その後は伊達氏の所有となり伊達政宗以降三代の栄華の源となったほか、慶長遣欧使節に要する費用はすべて当山の産金によるものといわれたが、江戸幕府に没収されることを恐れて坑口その他を破壊し廃坑に見せかけたとされる。千人坑は当山最盛期の主要坑道で、一時は「玉千軒余」と呼ばれ大いに繁栄したが1673年頃から次第に産金量が減少し、黄金のベコ(牛)とともに坑夫千人が落盤の下敷きとなって死んだという「オソトキ」(飯炊きの女)の伝説を残しながら、廃坑のみが現在も残されている。和右ェ門坑は1611年に小野寺源太郎が3ヶ月で140万両の金を掘り出したと言われており、当山で最も多く金を産出した坑道とされる。1904年明治37年)には日本銀行副総裁の高橋是清が、当山を抵当にして日露戦争の軍資金に欧米から8億円の借入をしている。