そしたらこのサイコパス犯罪者たちはうちの源孫にもやって殺した

うちの源孫は教師になった。そして学校の先生をやってた。

しかし戦争があって戦争に行って戻ってきてから 結核でハナレに入れられて

若くして死んだ。ここまでが過去聞いてた話。

ところが調べれば調べるほどきな臭いの山。もう さっき結論が出た。

殺されたのは確定してる。

結論が出た 黒木と相馬に殺された。

ものすごく怒り狂ってるから 実名ポロポロ出るぞ

黒木の娘だ 源孫の嫁は。

ハナレに結核が移るからと言って入れられてた。

これ 書き換えると、精神病だから監禁しておけってやられてるのと一緒。

うちの源孫は父親が即位してるから、そのまま内々にその段取りをすることは

できたはず。

どういうわけか 源孫は結核で死んでるのに黒木の嫁は結核になっても肺を片方

とって生き延びた。

そしたらうちの源孫も生き延びる手段をとれた。

婆さんだけ生き延びた。それが黒木の娘。

その黒木の戸籍があたしの手元にある。もともと黒木は相馬中村城馬陵城

どちらも建立した側だ。

黒木の城だ もともと。だからあたしはいつだったか 黒木の城だ 返せと

書いたこともある。

ところが、その城を相馬連中に明け渡したのは南北朝戦争で体制が悪くなり

明け渡した形だ。その後 黒木はその城に入った相馬の下で働いた。

その黒木から来てる 黒木という地名。

もちろん 黒木はそこだけでなく 広範囲に城を作ってる。何箇所もだ。

それをその後 捏造で書きかえられてる場所もあるようだけど。

黒木の諏訪神社にまつられてるのは黒木だ。

それが黒木。その血筋は もともと黒木が南朝勢だった。

そして、黒木はどのタイミングまでか 藩で仕事をしていたのに小高に逃げてる。

小高に逃げたという話は昔から聞いていて、なんで小高に逃げたのか

とは思っていた。どのタイミングかも定かではない。

しかし黒木の戸籍をあたしは持ってる。婆さんが黒木だからだ。

それが嫁になって、源孫はハナレに入れられて結核で死んだと聞かされていた

ものの、婆さんは手術して生き延びてる。手術代もうちにはなかったのか??

ということにもなるし、んじゃなんで相馬だの黒木が金持ってたか

といえば、うちのものを利用しそいつらはうちのものを売ったりして金を作ってた

計算になる。

婆さんはハナレにいる源孫にとんでもない待遇をして殺した。

遺産目当てで。例えば薬を盛る 例えば飢え死にさせる 例えば薬を出さず放置。

そうすると、源孫が早死にすることで即位するための教育受けた人間が死に

そこに群がる男は源孫の兄弟。

そーやって継承しなきゃいけなかったものをむさぼり尽くした。

源孫の兄弟数人といい仲になって、遺産は誰のもの状態が起きた。

そうして群がった 孤児みたいなものが北畠遺産をちゃんと扱う事もできず

金だけ自分らで人に貸したりして、自分の子供を大学に行かせるために金を使い

それだけで足りないと うちの父親は小学校くらいから働いた。

そのうちの父親の金で学校 大学行った連中が 金 金 金と言って

いったい アンタ達 誰なの状態。。。。


父親の兄が過去使ってた手帳をゆうべ ずっと見てたけども

相馬のあちこちの番号も書かれてる。聞き込みしてまわったのかどーか。

この手帳に黒木も書いてあんだよ。

確かに東京 確かに台湾 これで繋がった 黒木だ アイツの手帳にあった一部。

青森浪岡の本なんかもあったのはそのせいだけども、あたしが解明したので

こんな本も用済み。見なくて済んだ。


なんで黒木の一部が東京で生活できたのか 不思議

なんで黒木の一部が台湾で生活できたのか 不思議



うちの源孫 殺して得る報酬を誰かにもらったか??


そしたら いつだか書いた 残穢という映画の話に繋がる。

神にも仏にもすがった

その相手こそ うちの本尊なのに、この婆さんと後の夫はやたらと

仏像やら石碑みたいなものやら 集めてた。

本来ならば この神さんだけでものすごい強烈なのにだぞ??

神さんの怒りに触れるようなことをしたからに他ならない。

あたしは あの街中の土地は女の幽霊が出るといつかも書いてる。

土地だけでも出るはずなのに、うちのじいちゃん殺してたら そんなとこに

いて安眠できるはずもない。

あの残穢という映画のとおり どんどん拡がるから 祟りのもとが。

そーいえば あの婆さんは宗教にもハマっていた。

どんどんすがる やっぱ行動からして 源孫殺したな やってはいけない禁忌。

そしてうちの父親は小学生時代働く前 霊感が強くなって一時期 ご祈祷ごと

をやってるから 白装束着て。

父親が覚えてないだけで、母さんは父さん殺したね??ってたぶん言ってると思う。

この婆さんから虐待を受けたのはうちの父親だから。

黒木の娘 よくもここまでやったよな

この婆さんと源孫には三人の子供がいた。他の二人は虐待なんぞされておらず

大学まで行かせられてる。

その大学費用の一部のうちの父親の働いた金だ。そんでいて片割れが死に

もう片割れが死ぬ手前。

後父親とその婆さんには一人子供がいる。その子供も大学へ行かせられてる。

その金の一部のうちの父親が働いた金だ。

そしてその大学行った連中どれもこれも うちの神さんから逃げた。

もちろん扱う資格もない。うちの神さんに好かれてもいない。

なんで虐待受けたのか

たぶん 母さんは父さん殺したでしょって見破ったからだろう。

その頃相談ごとでかなりの客が来た。大熊あたりからも来たと言ってた。

物を無くしたんだけどと言えば、どこどこのあたりにあるよと言うらしい。

そしてそれが当たるんだから 人が来るよな。

当時は何でも見えていたと言っていた。

それがあまりに辛くて 阿弥陀に もうこんな力はいりませんと頼んだ以降

そういう能力は消えたと言ってた。

それだけで、この婆さんはお布施としてかなりの金を手にしたにも関わらず

その後 また働かせた 虐待の末に。それが黒木の娘のやったことだ。



あたしは父親レベルではないので、天災主と言っておこう。

そしていつかも書いたとおり 神さんとあたしはそれぞれ 独立している。

神さんはいわば相棒。



それでもこの婆さんはいいとこの娘気取りで 自分の手を汚さず生きた。

まぁ これで黒木もロックオンされたってことだ。

黒木の一部は小高の金房にいる。いたけど 今もいるかどーか。

いやー 許されない

やってきたことすべて 隠されてただけで。これでたぶん合ってる。




これひとつだけでも かなりのサイコパスだから

こいつらが生きて 片方死んだほうは??



窃盗 強盗 ストーカー 放火 冤罪かぶせ

いかに罪人か よくわかる

この宮内庁に出入りしてたヤツが 相馬順胤  この前夢に出てきたので

猛烈に殴る蹴るしてやったが えんえんとやるから あたしは。

イメージ 1

イメージ 2

        そーすると この写真に写ってる連中が相馬事件の加害者の可能性大

    子孫はどこに散らばってるのか キチガイ仕立てにして殺した連中
 
     この人殺し悪霊 みんな エクソシストで退治しねぇーと。

    うちの與惣治の代の時だ コイツらは。與惣治がとってた写真。

      これで身元 割れねぇーとな。怨念の吹き溜まりだから。



相馬事件(そうまじけん)とは、明治年間に起こったお家騒動の一つ。精神病患者への処遇や、新興新聞によるセンセーショナルな報道の是非を巡り、世間へ大きな影響を与えた。

経緯[編集]

中村藩主、相馬誠胤(そうまともたね)の統合失調症推定)の症状が悪化したため、1879年に家族が宮内省に自宅監禁を申し入れ、以後自宅で監禁、後に癲狂院(現在の精神科病院に相当)へ入院。
1883年、旧藩士錦織剛清(にしごりたけきよ)が主君病状に疑いを持ち、家族による不当監禁であるとして家令・志賀直道(志賀直哉の祖父)ら関係者を告発したことから事件が表面化した。告発を行った錦織に対し、世間からは忠義者として同情が集まった。当時は精神病の診断も未熟であり、高名な大学教授等による精神病の診断がまちまちの結果となった。正常との判断を下す医師もおり、混乱の度合いが増すこととなった。
1887年、錦織が相馬誠胤が入院していた東京府癲狂院に侵入。相馬誠胤の身柄の奪取に一旦は成功するものの一週間で逮捕。錦織は、家宅侵入罪に問われ禁錮処分を受けるとともに、偏執的な行動が批判を受ける。1892年相馬誠胤が病死。錦織はこれを毒殺によるものとし、1893年、再び相馬家の関係者を告訴、遺体を発掘して毒殺説を裏付けようとした。しかし最終的に、死因が毒殺とは判定できなかった。
1895年、錦織が相馬家側より誣告罪で訴えられ、後に有罪が確定。事件は収まりを見せた。