戦には対峙するもの同士の言い分がある。しかし、共存があったとして、ひとんちに土足であがったり金の借用書を強奪したり、系図を盗んで流用していい理由にはならない。
相馬には正当化できるものがほとんどない。
あたしの言い分のほうが世間では通常判断。
もともと馬稜城は相馬の城ではない
だから うちのものを使い込みしていいという教育のもとはいったい何??
それを探ってる。週末の暇人に一斉に拡散されてるから これ。
いいか?? 奥相志は相馬の連中昔のヤツが編集してきてんだ。うちから金を強奪し
殺した連中が、いかにあくどいことをやってたかは、記されるわけがない。
その隠された部分の被害者がうちだ。
これを徹底的に追求する。
顕家に確認した。「どうしますか??」って。ほんで「助けてやれ」と言った顕家の
家系だ うちは。
そんで ここまでされてきた。あたしが與惣治や源孫のものを調べ尽くさないと
わからなかった。それを調べられて困る連中はあたしんちの家系図を流用したり
殺したり金の借用書を強奪したり火災にして顕家の幟旗や熊野権現を焼失させた
という連中だ。
そのあたしの前であちこちに九曜紋を入れまくり、将門さまーって拝んでるわりに
将門の子孫だという根拠がない相馬一族と、それから金をもらって生きてきた連中。