どのタイミングで日銀が持ってる日本企業の株を市場にぶっこむか

小さなネジひとつから組み立てられたユニットが今度

でっかいものに組まれていくんだぜ

そんで大物壊れましたって逆算されていくと ネジひとつに行き着くというな



あたしが311の年 さんざん ものづくりしてきたんだろと言ってたものが

爆発的に「ものづくり」と掲げて大量生産バシバシしてたって事ですね??



あの当時 311の年 日経の記者でものづくりを否定してた人はいた。

しかし出版社の人間の記事よりもはるかにあたしの力のほうが上回ったから

ものづくり言い出したわけだよ 世間が。



ところがそれをがっかりさせる事が起きてたわけだ それが設計基準に満たない

もののスルー化だったというわけだ。



な??



設計がダメだったのか 生産過程がダメだったのか

まずここ見ないと ダメだと思うんだな

そういうあたしは当時GEに文句つけた張本人だから。




日銀がケツモチしてくれるから大丈夫だというのは 願望も少しあるだろう。

日銀の腹で売りに出される 

外資になるだけ それだけで済む場合と外資でリストラしますという場合がある。

公務員なんかが 俺らは関係ないわーって

安倍ちゃんが給料あげてくれたんよとか言ってるなら

あたしの言ってる仕事をすれば給料をもらう資格があるってことだ。

なきゃ粛清くらうから とーぜん クビ

公務員のクビ化がどうもはかどらない 困った事に。

クビになって他所で同じ仕事したいってなったら 空白あるとこがあんのかって

事なのか??



公務員のピンキリあるから 業種 なんやかんや見ないとわかんねーなー



よく企業で人員不足だーとかスレタイに出てくるけど

それ 条件出しすぎと選り好みすぎから起きてると思うんだよな

はっきり言うと。

そしてそれやってる企業の一部 宗教くさいとか なんか嫌だという要素が

あればさらにスルーされるし



人がいない だから移民で労働者を補充するっていうのは

企業都合だと思うのな あたしは。

そのぶん 高齢者が多すぎてウエイト占めてるのかと

ナマポがそんだけウエイト占めてるのかと

健常者がそんなに少ないのかと

言いたくなんのな はっきり言って



あとは核家族だから家族の世話なんかもある人が増えて 仕事の条件が飲めない

人が増えてる

だから求めるほうと受けるほうの開きが大きい



つーか ユダヤマネーでヘッドハンティングしまくってただろ

残りもんのカスはいらねーってやってる連中いるから その状態が

市場に見抜かれてるせいもある



言ってたとおりの事起きてんだ

障害ある人が金持ちになって 健常者の取り合いをする

金があるから いくらでも選り好みをしてって話

障害あろうがなかろうが その人の人格やその実績なんかに人は集まると思う

んだけど。一人じゃダメだから複数名 上が固まってれば来るんだろうなと。



すべて銀行都合だからな そして

前のバブル崩壊不良債権処理の時には銀行つぶれるとか言われてた時代

あったんだぜ??



今 高度成長期時代とまったく違う この差がわからない人たち多すぎる

戦後は産めや増やせやと 子供をたくさん作った いろんな家庭で

そーすると家族が増えると家が狭くなる

狭くなったうちからは 当然 その大家族の何人かが自立しますと外へ出る

そしたら他所で仕事をはじめたりして

その時点では家族が多いし 残ったきょうだいが親なりじじばばの世話をしてくれる

そういう保障があったのさ

その時代はみんなが貧乏だった

だからその貧しさをからかう輩は どれほどいたのか



今 きょうだい 叔父 叔母からのお下がりをもらったと言って学校へ持っていって

だせー とか 新しいの買ってもらえないの??

なんて環境すぎたら 人の目気になってどーしても社会に合わせないと

いけなくなってる。

学校 部活もそう

それが今度日教組の都合で ブランド品の部活用品買わされて 部活だけでも金が

かかる 

そーいうのが幼稚園ぐらいから当たり前になってるとこもかなりある。

こんな状態で いつの時代錯誤なのか

子供が少ないって



人の目で生きないといけない 特に貴族みたいな連中の多いエリアでは。


子供らが口にしないのであれば代弁するけど部活でいかに金がかかるかで

子供らは部活を選んでる

いかにして親の負担をなくしてやろうかと。

活動費が出せるか出せないかで その家庭家庭の子供らのやりことも変わるって事。



最終的にはそれで良かったというケースも残念だったというケースもいろいろ

だろうけど。



前なら持ち物だけで差別も起きてたのが311きっかけで 同じ貧乏金なし状態

を味わってそんな事言ってる場合じゃないなと 感じた人がどんだけいたか

金を出すことに幸福感持つのは大昔の貴族らの話

今は金を出しても幸福と感じない 自分が幸せになってないから

汚い作業もやって疲れるまで手伝いする 山にのぼっていくように

多少の疲労の後に幸福見たほうが幸せ感じるというのが庶民の感覚だ

これは昔から変わらない



托鉢に賽銭入れて幸せになったなんつーのは いつの時代の貴族か。