安倍普三の特集 その2 李氏朝鮮と呉が大日本帝国の中枢だと判明したばかり




当然 霊山略記調べだした頃はそこまでたどり着いていなかった

なんで朝鮮なんたらと書いてあるのかとは思ってた

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そしたら あたしはさいさん書いてた。あたしは先祖の遺品に薬草のなんたら書いて

ある書物があるって。これパクったんじゃねーのかって。

この流れではその可能性が非常に高い。

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うちは江戸時代 豪商であったんだから、この手の輸入関係にも関係してたはずだ。

当然 あたしは唐国の書を持ってる。これは当時吉左衛門の仕事上で入手したもの

だろうと。これは顕成の子の遺産。

それと別に顕家の遺産 刀 幟旗 権現 あらゆるものがうちにあった。

そのうちの熊野権現は焼失したとじいちゃんは嘘つかれたままに死んでいった。

戸籍も焼失したと言われて、じいちゃんもさぞかし探してただろう。

しかし仕事をしていれば、ここまでなかなか出来ない。

どっぷり専門で浸かりきってないと集中と持続性がもたない。

あたしはとんでもなく いろんなものを代償にして金の返済 熊野権現の返却

九曜紋入りの葛篭箱(ぶっ壊してやるため) うちにあったもの

すべて回収すると言ってる。




そして、朝鮮人のうち 一部はうちに世話になった連中がいる。

一部は恩を仇でかえすだけのクソ乞食どもがいる。




あたしは100年も生きないぞ 時間がない。

せいぜいこうやってて あと10年20年というところか。

それでこの大事件 幕を閉じるんだよ どーいうことか わかるか これ??

何ほど詰めてるのかが わかるか??

何ほど憎くてそいつらの子孫根絶やしにすると言ってるかわかるか

47都道府県で知らないだけでここ数年毎日と言っていいほどのパトカーと救急車と

葬式のオンパレードだったんだから。




神社の宮司どもが人んちの戸籍や遺産使って金儲けに走ってきたそんな歴史が

大昔からあったと思うか??  その手法は出雲大社伊勢神宮あたりがどうどうと

やってたもんだから、それに右ならえして生き延びてきたクソ宮司どもな。

人んちの歴史捏造して飾り立て 人を呼び集めすんのに顕家の像建てて顕家の

陸王舞をやって、張本人のうちが全部そのエリアから消されて

みーんな岩倉ら村上源氏どもと、大江らの売名のために使われてたんだぞその場所。



すっからかんにして そういう場所があったの看板でも立てておけって感じだ。

いや 謝罪を求める。正式文書ヒマなくて作ってないけど裁判にしたいんだから。




ここまでした組織が大日本帝国幹部だ。その幹部のうち、なんでここをこれほど

固執したのか。それがあたしんちが即位してたからなんだろ もうわかった。

それやったのが宮内省幹部として動いた岩倉具視なんだ。もうはっきりしてんだ。

岩倉のものだらけなんだから、顕家のものを返しなさい 霊山神社

あと顕家像も撤去しなさい。

かましいにもほどがある。よくもぬけぬけと、祭事の案内をよこしてたと思って。

考えれば考えるほど発狂してくる。

人んち殺してきた宮司がそういう場所を利用するって事は犯罪だ。

宮司の犯罪者にもうひとり 山津見神社の久米もいるな。

天皇しか使わない璽という字を札に書いて出してるのは、いつからなんだ??

発發神社の真似したか あたしの逆鱗に触れて同じタイミングで。

節度もなければ アンタらいったい 何の仕事なの??って話だ。

秩父三峯神社も札に璽と書いてた。これは秩父宮の子かなんかがやってると見た。

しかし秩父は直近で秩父宮いたと言われたら、それはあんまり言いようがないとこ

もあるが、まるっきり発發神社 山津見神社関係ねーだろ

なんであたしのストーカーみたいな事やってんだ

虫唾が走る

しかし あたしの真似ではねーんだ 実際。あたしは札も切ってないし璽と書いて

金を取る行為をしていない。

過去 與惣治は即位してる公式書面があり、さらに璽を使ってたのは天皇だからだ

と書いてる。それを見せてるだけ。



一方 ストーカーみたいに出てきてる宮司どもは即位の証明するものもなければ

自分らが璽と書いてる。



これは裁判所に出されても裁判官が判断できる まったく別ものだから。




裁判官があたしの説明わかんなかったら 裁判官になる資格ねーぞ まず。

もう一度書く。あたしは即位したという公的書面がありその立場の先祖が作った札

を公開してる。それに対し、あたしが発狂してる相手方は、即位の証明するものも

提示もなんもなくただ札に璽と書き、それは天皇が使う字であるにも関わらず

札を切って金を取ってる。

これはまったく同等ではない。



そんな事を放置させてる神道本庁の大本が安倍普三の母親なんだろということだ。

つーことで安倍普三の母親の事がここで出てくる。

安倍普三のじいさんは岸信介 満州にいたということは霊山略記をああいう作り

方した岩倉具視と一緒のメンバーだ。満州から賛助として取り入れたのは満州

行ってるヤツだけだ。当然 うちに出入りあっただろう後藤新平満州鉄道の

初代総裁にはなってた。しかし、霊山略記編集には大江と村上源氏が関与してる。

これは後藤新平より大江のとこ つまり山口の岸信介界隈でやってる事で考えた

ほうが現実的だ。