あと後藤基次を見つけたんだけど 今回の件で


  • 野田・福島の戦いの後、豊臣方は船場に火を放って撤退した。この時、基次は煙に紛れて敵が夜襲してくる事を予測し、「若い者は手柄を立てよ」と伏兵を促したが徳川方は現れず、読み違いをあざけられた。しかし、夜襲は池田忠雄らに計画されていたが、基次を良く知る花房職秀の引き止めにより中止されていたという[5]
  • 塙直之米田是季御宿政友らの本町橋の夜襲戦の際には、直之の上司である大野治房から求められ戦術を教授している[13]


まずウィキ 直せ

教授でなく享受だろ??

あと後藤基次 うちと関わりあったよな??

花房・池田両名の名が出てくる時点で後藤基次 関係ある。



  • 合渡川の戦いにおいて、西岸で石田方が待ち構える長良川を、強行渡河するか、それとも後続を待つ迎撃策かの軍議が乙津寺(鏡島弘法)で行われ、藤堂高虎から具申を求められると、「既に福島軍が竹ヶ鼻城を落とし、池田軍が織田軍を打ち破り、我らは岐阜城攻めに遅れ、まだ何の戦果も上げずにいる以上、論点ではない」と答えて方針を決定させた。その後、黒田隊の一番渡河を果たしている[5]
  • 外出中に2名の刺客の存在に気付いたが、刺客は基次を恐れて手が出せず筑前に逃げ帰った。しかし、長政はそれを止むを得ないものとして、その刺客を逆に100石を加増した[14]
  • 大坂の陣で基次に近侍した長沢九郎兵衛が、大坂の陣の様子を書いた『長沢聞書』には「傷を風呂で数えると、53箇所あった。」「指揮の声が通りやすいように、外していた面頬を持たされていた。」「真田丸の戦いは偶発戦ではなく、城兵と内通していた松平忠直を偽矢文で誘い出したもので、基次も采配を振るって雷のような攻撃を行った。」などの基次に関する記載がある。

どうやら間者もやってた感あり

あと大いに利用されハメられた感あり

身長180cmというのはうちの血ではないかなー

島津に頼った??  島津に頼ったと島津サイドで思ってるだけで島津に潜入した

んじゃねーのか??

これ大阪で自害したとかいう伝記流した長沢の系列だよな たぶん

あたしはそれ 伊勢神官扱いされたアイツが大阪行ってるんじゃないか??と

過去書いたことあっけど ああそうだ 顕能だ

そいつが仮に日野の娘とくっつき 子がいたら、それは今度 鶴姫ラインと

どっかで交わる。それは戦の仕方を教育受けていないと過去書いてる。

そのラインの従事者か もしや??

伊予 師清 これが誰だっつー話は去年推測であれこれ仮説を立ててみたが

でっちあげ霊山略記では師清は村上源氏を襲ったと書いてあった。

でっちあげの理由は編集してるヤツらの意図があの編集してるからだ

なんのことない。

悪者仕立てにしたり ハブく真似事した以上 神様に冤罪かぶせしたわけだから

大いに天罰くらわせないとな。

あの本の最初のあたりに系図みたいに書いてた師清のとこ

村上源氏を襲ったと書いてある。

つまり村上源氏を襲う理由があったからだ。

当然あたしは村上源氏 岩倉を含む連中にブチギレしている。

立場は師清と一緒だったのかもしれない。

ということは、師清は誰

村上源氏がいい気になったのは、顕という顕家の娘を大江氏で引き取り育て

村上天皇の子孫と婚姻関係もったからだ。

その大江が山口 毛利 桂がその毛利の子孫だ。戦犯じゃないか桂 捏造犯。

それを知ってたのは当然安倍普三の家系 山口だからな。

さらにそれを知ってたのが 平井宮司 平井宮司は九州出身だ。

さて 九州のどこだ??

あたしの推測では平井宮司は福岡とふんでる。



そーすると戦時中の狂気事件と照合しよう。

まず山口では人間魚雷を使いまくった

さらに山口の女が満州方面で当時の軍人たちの慰め方をしていて

かなり堕胎処理が行われた 場所は二日町保養所

さらに九州大学ではアメリカ兵捕虜 死体だったか生きてたのか人体実験を

やっていたという



ほぉ なるほど それに加えて山口

斉藤実盛に災いを持っていってもらうとばかりに行事化してたな??

実盛を崇拝し??  いやいや崇拝してんなら、災いかぶせるなよ 特定してさ・・・



つー感じ。福岡 吉田茂もかんでるか もしや??

戸籍かっぱらい冤罪かぶせ うちの金強盗事件に。