此の書は北畠一族が義良
親王を奉じて我東奥に下り以て
大に
力を東國に繞(まと)らし皇統の正閏(せいじゅん)を辨(べん)し國体(こくたい)を
明にし大義のある所を知らしめたる事蹟(じせき)を序列して一目瞭然たらしめん
とす故に務めて平易を主とし浮藻を事とせされるなり ※続きは省略
そしたらこの地 つまり霊山と
南朝正統としての戦の後をまつり
その地
北畠顕家に関するものを集め そこに集合の形を作るといった
趣旨だ つまり。
浪岡関係ナシ 相馬も関係ナシ
そこで この本で一番肝心だったのはその霊山城のとこに多賀
国府を移し
さらに古代
天台宗の修験山とし さらに
南朝拠点としたことを記し
そこにあった山王大権現についてを記す それが本筋だ
いったい霊山の何を知っていたのか
連名とか どーでもいいんだよ
そこに作る目的 趣旨 経過を出さずして 何をまとめてる??
死んだ人に文句つけるけど。