いやいや 朝鮮人ヒロヒトを死刑にすべき所を邪魔したの中国ですか??


天皇を戦犯リストから外してくれたのは中国だった!ジャップは日王の命の恩人に感謝しろよw [転載禁止]©2ch.net [811571704]

ヒロヒト朝鮮人ですよ。あと感謝するどころか、死刑か極刑を当時の日本国民がのぞんだのに、それを妨害してたという事ですか??

何で手打ちしたんでしょう??

ユダヤ民を助け、自国の日本人を天皇教で洗脳し、その軍隊中枢部が勝手に軍事で日本人男性をカードで切ったんでしょ。

赤紙で徴兵して。

天皇さまっておかしな教科書で子供たちまで洗脳教育して。

どこまで無責任なの やってた事を認めもしないで。

当時、子供たちの勉強の場で天皇さまさまの教育を施した教育者たち

それから、赤紙徴兵や、インチキ天皇即位行事を大々的に取り上げて日本中にカルト洗脳のもとを配った当時の朝日新聞

それから、朝鮮人天皇と知りながら大々的に即位行事なんてものをやりだした当時の伊勢神宮

第二次世界大戦開戦の前に、ヒロヒトが伊勢に参拝しに行って開戦祈願をしに行ってる事実

これすべて、日本と当時の朝鮮半島を行き来してた朝鮮人総督関係の人間たちがやったことです。

大勢がその勝手な国の中枢名を利用した文書を通達であちこちにばらまき、どんどん戦争に行くように仕向けたじゃないか。

そして戦争という単語をあまりに多様に用いすぎてる。これはマスコミやあのバカ貴族たちのカモフラに利用されてる。

騙されてたってどんだけ日本人たちは自覚できたのか。

あれは戦争か??違うだろ 虐殺行為だろ。軍事という名の虐殺、焦土作戦の作業員だよ 兵隊たちは。




1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/08/02(日) 23:39:24.50 ID:
http://img.2ch.net/ico/syobo1.gif
戦犯リストから消えた「天皇」=米国追随と共産化防止―蒋介石が早期決定・中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150802-00000038-jij-cn

日本との戦争最終局面の1945年6月、当時中国を統治した中華民国・国民政府が作成した日本人戦犯リストのトップに
「日皇裕仁」(昭和天皇)が掲げられたが、終戦直後の9月のリストからは消えていたことが分かった。
 蒋介石主席の意向で決まったもので、連合国・米国に追随する方針のほか、共産主義の拡大防止という背景があった。
スタンフォード大学に保管される「蒋介石日記」でも同年10月下旬、「日本戦争犯罪人を既に裁定した」と記されており、
終戦後の早い段階で「天皇免訴」が決定していた。
 時事通信中華民国の外交文書を公開する台湾の「国史館」や国民党史料を所蔵した「党史館」で入手した複数の戦犯リストや
内部文書のほか、「蒋介石日記」の記述で判明した。
 国民政府は終戦前から、戦犯リスト策定に着手しており、45年6月に軍令部が「侵戦(侵略戦争)以来
敵国主要罪犯(犯罪人)調査票」を作成。戦犯トップに「陸海空軍大元帥」として「日皇裕仁」を掲げ、
侵略戦争の主犯・元凶」と明記した。日本の軍国主義による侵略の根源が天皇にあるとの見方は中国で根強く、
議会に相当する民意機関「国民参政会」も7月17日、「天皇戦争犯罪人に指名する」決議を可決した。

(つづく)

2 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/08/02(日) 23:40:10.19 ID:
>>1つづき

 これに対して蒋介石は「日記」で9月21日、「当面の急務」として「戦争犯罪人(決定)」を挙げ、10月8日には「外交急務」として
「日本軍戦争犯罪人の決定」と記した。同月14日に東条英機(元首相)ら12人を「特務工作の悪事を尽くした」として戦犯指定した。
「日記」からは蒋介石の意向が選定に反映されていたことが分かり、9月の戦犯リストから天皇の名前は除外されていた。
 蒋介石が「戦争犯罪人決定」を「急務」とした10月8日、国民参政会の決議に対し、戦犯問題を調査した司法行政部と
外交部は天皇の戦犯認定について「蒋主席とトルーマン米大統領が、日皇の運命は日本の民意が自ら選択すべきであると
共に表明した」と否定的な方向に傾いた。また当初、天皇を戦犯リストに掲げた軍令部は

「皇室は将来的に日本の侵略国策を復活させる源泉だ」

としつつ、「同盟国(連合国)によるポツダム宣言の円滑な命令執行と、共産主義勢力拡大の防止」のため、
天皇免訴が必要だと方向転換した。
 最終的には蒋介石の統括する国防最高委員会が45年12月28日、「日本問題処理の意見書」を決定。「同盟国の誤解と
日本人の反感を回避」するため、「天皇天皇制存廃の問題は、原則として同盟国の共同意見に従い処理する」との方針を
確定した。
 蒋介石政権は46年5月からの極東国際軍事裁判東京裁判)に向け、東条ら計32人の戦犯リストを2回に分けて
連合国軍総司令部GHQ)に提出した。