京都で曹操を調べたのか??有益となるかどうか・・・


まず曹操の出目は夏代からの血で殷ではない。
それは発言や思想や行動に顕著に出てくる。
ほんで曹操の魏の血は、あたしのうちと一緒。
日本には古代夏朝が入ってる。東北エリアの多賀っていうとこはそれに関係している。
奥州藤原っていうのは、魏と唐と古代中国の周系。
そこを、そのエリアに蝦夷がいるってわざわざ攻めるって言って、百済移民の中大兄達の子孫に当たる桓武坂上田村麻呂たちが来たわけだよ。
その入江が南相馬の原町。だから百済に関わる連中が南相馬の原町に土着した。それが桓武天皇一派です!
コイツらが侵略者という立ち位置なんだけど、そのエリアの人は侵略者という教育受けてないんだよね、呆れたことに。

つうか、そういう教育にしてきたこのエリアのおかげで、死んだ兵隊たちまでまき沿いになってるからよ、第二次世界大戦で。


その戦争責任追及されると困るのは百済なんだよ。
国籍は日本・だけど信仰は百済っていう反逆分子だからさ。

百済と大昔からどうして戦争になってきたかを、ちゃんと見ないと。

移民たちは勝手に自分らの新しい日本だとか日本人名乗って
マスコミで宣伝してきたようだけど、大間違いなんだよね
それ。

それを出来てきたってことは、どんどん日本人が絶滅させられる事を意味する。

その絶滅のきっかけとなったのが第二次世界大戦なんだが。

曹操の血って夏代からの血なんだよ。

それが日本の開拓時代の土地神になっているのが事実なのに、
戦争利権を獲得した連中が、神血筋はいないものとしてねつ造
あげく、天皇家天孫族で神の子と流しまくったよね・・・。

それ戦犯行為だから。



歴史学的には、まず中国における郭沫若らの曹操論争があって文学的な評価が進み、その流れを受けて日本でも、京都大学谷川道雄川勝義雄らによる曹操集団および曹魏政権に対する再評価が進んだ。曹操の政策として知られる九品官人法魏晋南北朝時代貴族制度の前史として言及されることが多い[50]

川勝らの曹操ないし曹魏政権、魏晋南北朝理解に対して、越智重明矢野主税などとの間では1950年代から1970年代の間に活発な議論があった[要出典]

また後漢が建国の経緯から豪族のと知識人を糾合した政権であり、統治機能が失われた黄巾の乱以降に、いち早く豪族と知識人を糾合することに成功したのが曹操であり袁紹であった。

曹操袁紹に勝利した要因には上述の九品官人法のような現実的な人材登用制度の採用がある。また屯田制は豪族が土地と農民を所有する制度に対抗するために導入したが、結果として全ての土地が曹氏のものとなった。

これはのちの西晋占田・課田制とそれに続く均田制をかんがみると公地公民制度の端緒といえる。