あたし いつだか書いてるよ。縄文時代であっても船使って移動してたって。
あたし いつだか書いてるよ。縄文時代であっても船使って移動してたって。
それと合致するから。
ただ、港の跡が見つけられないだけ。
もしかしたらだけど、港の岸壁に寄せるという方法ではなく、沖合いに大きな
船で来たら、海岸沿いに停泊させてある小型か中型の船で何度も行き来しながら
物流のものを運んだのかも。
そしたら、具体的に書くと、大きな船から小さい船に家畜の乗せ替えするって
なれば、大きな船からモッコみたいな道具使って、船に滑車ついてれば
それでロープがわり。
船でロープを滑車にかけて、後は吊り上げ、介錯ロープで小船に引き寄せして
おろす。
こんな具合を今 想像したので、これが天候悪いと海岸からの船はまず出せない
から、大型船は海に停泊。
乗組員だけで10人くらいはいたと推測。
これが誰かと言えば、古代中国・古代高句麗あたりの当時は金のあった豪族。
それができる人間は当時の日本で、王と呼ばれる 日本の中を行き来できた
人たちにのみ。
そしたら あたしんちが豪商っていうのは、こういうレベルだったという事。
岡山のこの地図でいく 古墳位置 あと海側からの搬入
そんなに大規模なエリアでなきゃ、かなり 物資も入って豊かになったエリア
ではないかと思う。
鉱産もあるから それが金にかわっただろうし。
これ以前に住民がいたとしても、こういう外からの種や木 家畜や道具が搬入
された事によって、そこが栄えたんだよ。
そして栄えた後ならば、それが残ってるから欲しくなる人間がいる。
そっくりそのままな。それを武力行使でゾロゾロと住み着かれて、ここは俺らの
だって言われたら、移動する?? ムシする?? ふざけんなよってなりながら
その作った環境を維持する??
それが開拓民と侵略者盗賊移民の違いなんだよ。
先の説明で行けば、共存の形で繁栄しても、後者の形で行けば乗っ取られたと
言わざるをえないでしょ。
だから キビだとか粟だとか 家畜だとか そういう食べ物の木なんかも
調べる対象に入るんだよ。外から持ってきて植えてる可能性があるから。
そーすると食べてたものがわかれば、使ってただろうかという道具も推測でき
あとは寿命とか、疫病具合だとか、死者へ対しての弔い方とかも
だんだんと出てくる。植物の具合で今度は当時の気候もわかりそうだし
そしたら衣類についても出てくる可能性もある。