満州とモンゴルと元と蒙古は一緒だよ。


あと関東軍満州人は最初からグル。それを知らない人は被害者になる。
そういう構図だよ。

キンペーも中国政府でも公にしなくていい。ただ中国人にはわかる事。
その身に起こったことは、あたしらと一緒。

だから関東軍は中国の陰 日本から出て行った軍隊は日本に住んでる過去中国の陰。
それが組んで、土地や権利を奪いに行ったのさ。それが真実。

だからあたしはその満州の件も関係がない。過去 書いてた事に繋がる。
自分らの系統はインフラ整備の工事やった土方のほうだと思う。

満州なんたらって死んだじいさんの一人が言ってたから。

そしたらあたしが過去中国の光 今中国で生きてる光に この意思疎通が
届けばいいんだ。


満洲国は建国にあたって自らを満洲民族漢民族蒙古民族からなる「満洲満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人漢人朝鮮人満洲人・蒙古人による五族協和王道楽土を掲げた。

1931年9月18日、柳条湖事件に端を発して満洲事変が勃発、関東軍により満洲全土が占領される。その後、関東軍主導の下に同地域は中華民国からの独立を宣言し、1932年3月1日の満洲国建国に至った。元首満洲国執政、後に満洲国皇帝)には清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀が就いた。


満州国では警察官朝鮮人も採用していた。朝鮮人警察官は、主に朝鮮で洗濯に使う棒を武器として警備をし、事実上の支配国であった日本の威を借りて横暴な態度を取っていたため、現地の中国人達は警官の携帯する武器の棒より「高麗棒子」と蔑称した[1][2]

鄭判龍によると奪った土地が入植者である朝鮮人日本国籍)に貸されていたため、満州での土地を奪われた中国農民の朝鮮人への憎悪は強く、東北地方の匪賊は「高麗棒子は全部殺す」と宣言していたという[3]

万宝山事件後の鮮人報復事件によつて支那の發行せる排日ポスター。旭日旗を持った朝鮮人が中国人を虐殺している様子を描いており、当時の中国人の朝鮮人観を表現している。

早稻田大学が所蔵する、清朝の乾隆十六年版『皇清職貢圖』第一冊の中に、「朝鮮国民婦」図の後ろのページに「朝鮮国民人,俗呼を高麗棒子と呼ぶ。」と記載されている。(中国版「高麗棒子」)
また、中国では昔から人を「棒槌」と罵る習慣がある。棒槌とは洗濯用のずっしりとした棒で、人を罵る際の意味は日本語の「頭でっかち」と似ている。