あと、滅茶苦茶な解説だな。八幡平


まず坂上の名前をこの地に売名した過去の百済朝廷の結果だ。

あとこの坂上が追い詰めたとされる盗賊は安倍普三の安倍氏系統の事を指す。

そして安倍氏の当時が大嶽丸。

安倍晋三百済のアキヒト達と親戚関係とされているが、自分の租の敵と親戚なんて、涙出てこないか??

この坂上が大嶽丸を殺して、肉体切断し祈祷に持ち歩きした桓武の総大将だ。桓武って桓公の派生だかんな。
桓武のさかのぼること、その血統は中大兄達も含むが、その連中は中国の唐に戦争ふっかけて血まみれになってたくさん死んだと同時に唐から追い出された百済、つまり殷の末裔たちだ。
秦韓・馬韓たちだ、つまり。

ほんで坂上の子孫と名乗ってる男が田母神↓血統は百済


  • 生年月日:1948年7月22日(67歳)
  • 出身地:郡山市
田母神 俊雄は、日本の軍事評論家、政治活動家である。予備役ブルーリボンの会顧問。 元航空自衛官。頑張れ日本!全国行動委員会前会長、元太陽の党代表幹事兼国民運動本部長。Wikipedia

ほんで正式にそこ、八幡平とついたのは大嶽丸の時からだ、たぶん。

八幡信仰と、平家のコラボネ-ミングではないのかと思ってる。

その安倍氏の大嶽丸とな。
あたしは多娥丸。あたしの系統は源頼義

のちに頼義と安倍死の長い戦いも起きていくが、その戦いは無益。

桓武たちの仕組んだ戦争だっただけ。

伝承[編集]

伝説によると、桓武天皇の勅命で奥州蝦夷征伐に訪れた坂上田村麻呂は、山賊の残党を追う途中に八幡平にたどり着き、その極楽浄土のような景色に感激した。そこで、戦の神である八幡神宮を奉り戦勝を祈り、残党を討伐後に再度高原の八幡神宮を訪れ、戦勝の報告を行うとともに、この地を「八幡平」と名付けたとされる。ただ、史実では坂上田村麻呂はこの地には至っていない。