禹穴(洞窟)と天岩戸(洞窟)は同じ事象で、同じ事を指す
禹
禹が入ったと伝わる洞窟(禹穴)
夏代王朝を追いかけまわす殷という根拠の一つまた発見
大旅行[編集]
司馬遷は20歳頃から旅に出発し、東南および中原を巡る。この旅のきっかけは何か、また一人なのか複数によるものなのかは不明だが、その旅程は詳しくわかっている[12][17]。最初に江淮(現在の江蘇省と安徽省北部)へ行き、韓信が建てた母の墓を訪ねた。次に江西の廬山から禹が疏いた九江を見物し[18]、さらに浙江省の会稽山に登り、禹が入ったと伝わる洞窟(禹穴)を探検したりした[17]。そこから南下し、湘江の舜が葬られたという九嶷山を訪ねた[17]。この後、彼は湘江に沿って長沙に向かった。そこで屈原が身を投げた汨羅江を見て、また当地で不遇を託った賈誼へ思いを馳せた[17]。