そうか・・・唐の時からか


それって日本の宮内庁に文献残ってるのかね??

まぁその唐が相手した国の機関って百済移民だからな。

今ようやく唐の時代にあったものを中国本土で出してきて

それを受け取るあたしが当時の唐だから。

ほんで当時の唐から今の中国へ唐が戻っていく

これが文明交流というか、すごい事業なんだ。

あたし過去の唐の人と同じ血統で教育受けてるから。

血だけでは意味をなさないの。

そこに精神と教育が宿ってはじめて個人が形成されるのよ。

だから、血がこうだと言ってるだけで能力や力、人徳すべてに

おいて兼ね備えたものでないと血を誇っても意味がないの。

あと、中国サイドでは「当時の朝廷」とか、「当時の皇族」とか、こういう感じで相手をさしていく事になるよ、今後。

その当時の天皇とされる連中も百済なので、中国ではあまり
持ち上げなくていいから。

唐に百済移民よこせって言い出した当時の奈良
例え、漢族移民であっても、あたしとはまったく違う。

唐と戦争した白江村の戦いの倭とは、あたしの系統は入っていないから。あと白江村の戦いに出てくる天智天皇って百済移民だからな。

倭と言っても毛野と安倍じゃないか。
タガマルは入ってないよ。

白村江の戦い




白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、663年天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、倭国百済遺民の連合軍と、新羅連合軍との戦争のことである。


交戦勢力 指導者・指揮官
戦争白村江の戦い
年月日
旧暦天智天皇2年8月27日 - 同年8月28日
グレゴリオ暦663年10月4日 - 10月5日
場所朝鮮半島、白村江(現在の錦江近郊)
結果新羅連合軍の勝利

新羅
倭国
百済遺民勢力
劉仁軌
文武王
上毛野君稚子
阿倍比羅夫
扶余豊璋

「パンダ外交」の始まりは則天武后…685年に日本につがい送った

中央日報日本語版 3月4日(金)14時36分配信