その北畠天童丸という嘘つき自称が作った神社 それが発發神社。


一日寝ててようやくこれも謎が解けた。

これも文科省に資料作って送ってやりましょうか??

相馬一族は、あたしんちの過去帖を何度も狙ってそれに火をつけたり窃盗してきた

賊の長である。

これはあたしんちの家系をことごとく消して、相馬一族が自称してきた架空の第三者

北畠天童丸という一族だと嘘つきしてきた結果

その北畠天童丸という嘘つき自称が作った神社 それが発發神社。

それをやることでたくさんのあたしの先祖をことごとく消した。

だからあたしのうちでやってた事をすぐ真似するんだ。

そして自分らが親戚だとか あたしの知らないところで自称しまくってるのも

特定できた。

あたしの家系の歴史をことごとく消して人権侵害作って何百年と生きてきた相馬一族

の嘘つき陣営による北畠の子 自称は 

大昔からとてつもない犯罪だったということ。

そしたら相馬一族が何で北畠を口にせずあたしんちに迷惑をかけたのか

自分らが北畠顕家第三子を大昔から捏造してきたからだ。

そして顕家には第三子がいない。

第一子は顕という女子であり、第二子は顕成という男子

それを相馬藩は顕(第一子女子)を第二子と捏造したり

第三子がいたと捏造してきた。

ところが北畠顕家が死ぬ頃にいたのは第二子で男子 それで霊山落城でその第二子

が赤子であった以上、第三子など絶対にあり得ないことを、わざわざ第三子と

とことん あたしんちの外で捏造した。

それは例えば霊山城から逃げる時、付き添った顕家の家臣に鹿島で孕まされて

第三子を産んだとしよう それは顕家が死んだ後のことである。

その家臣に孕まされた子を第三子とし、これを北畠顕家の子と作り込む事はできる。

しかし、それによって多大な迷惑をこうむるのはうちである。

そうやって作った第三子の存在がいかに世間で認識されていないかを、逆に利用し

さんざんあたしのうちへ土足で上がりこんだのが相馬藩である。



そして第三子がいて第ニ子が顕だと霊山神社の記事に出した人物は、大江氏である。

いかに実態を知らないでいたのか 大江氏。恥を知れという感じ。

それと便乗してなくても、なぜか第三子を鹿島の日吉神社にからめ、お浜下りを

書いた人間こそ、桑折城城主と語る桑折氏であり、この桑折氏は後に伊達藩家臣

に入ったとも自称している。そこで伊達藩をからめたら、伊達藩まであたしから火の

海にされる事になるんだが、責任とるんだよな桑折氏と桑折

つまり桑折町は。その桑折町がつい数年の間、インチキの部落で作った産業の

天皇家から献上桃というタイトルを出されてる時点があたしが気づくのは当たり前。

そうなれば、そこがあたしの先祖に不幸をもたらし、それで韓国人のヒロヒト一家

から表彰されたのは、これだけであたしから虐殺されるために見つかったのと一緒。

あたしの敵はインチキ天皇家がなんらかの報酬をくれている。

東京の皇居などお化け屋敷も同然なのにな。



そして桑折五郎というのは、真野五郎の成りすましであり、真野五郎は駿河守である

のに、なぜか相馬藩では真野五郎は桑折五郎でその桑折五郎は桑折城城主だと

さいさん嘘をついてきたその嘘はすでに鹿島へきた時から起きていたため、その

嘘の発生時期は鎌倉時代からである。

そして真野五郎は駿河守である事から駿河方面からここ数年ぞくぞくと鹿島を含む

相馬藩エリアに入ってきている。

あたしはいつか書いた。駿河守真野五郎は佐々木で宇多源氏だったと。

その場所は後にあたしの家で長らく生活した場所だった事を長い間隠されていた。

うちのじいちゃんの遺書的なものがなければ、それすら知る事もできなかった。

それが出でこなきゃあたしは騙されたまんまで死んでいくところだった。

宇多源氏がいたからこそ、宇多川があり宇多湖があった。

もともとは、宇多源氏が繁栄した場所であった。

しかし、その宇多源氏ではないのが結城氏であり、これは中村と後に名乗った。

これが宇津峯城 別名宇津峰とも書く。ここで顕信を襲った賊となる。

宇津峰を襲ったのは結城氏であり、相馬氏であり、多賀城を襲った吉良氏である。

この吉良氏が尾張の織田である。

この織田信長の子供が、伊勢北畠に養子に入ったとされる織田であり、伊勢北畠が

実態は織田だという、あたしの指摘は確定している。

つまり、あたしから殺されるべき人間たちはこうやってあたしの元から見つけられ

指摘されることに世間に見つかることになる。

顕信は宇津峰で死んだ。須賀川で作ってくれた貴人塚に顕信を悼む場所の一つ。

その織田信長の家臣が丸森へ逃亡し、あるいは伝記だけ残っている。

その丸森エリアにいたとされる松代の実態を知らないのが大江氏である。

あたしは松代がなぶり殺しされたのを夢で見たと過去5年くらいに書いている。

そして捏造された青森も、あたしんちの事をよく知らなかった 数年前まで。

それはなぜか。そこに答えがある。あたしんちの過去帖を奪って自分らで管理しよう

としてた連中が売った過去帖を、自分らの家系にかぶせただけの、成りすまし北畠

であったから中身がまったくなかった。

それを根拠にするのがここ数年で、青森浪岡の過去帖が京都で見つかったという

タイトルをネットに出した事。これはあたしんちの過去帖を実は利用し青森に北畠

というありもしない一族を作った浪岡であり、これは安東氏などが作りこんだ北畠

という名前の北畠ではない一族である。

その京都から浪岡の家系図が出たとされた以上、そこにあたしんちの消された家系

図がある可能性大。そこはどこだ??とあたしは前にも書いている。

ちなみに松代の出目は大江氏とされてるが、この大江氏こそ後の毛利氏であり寒河江

氏である。

あたしんちから、盗んだ連中ばかりだからその一族すべてが盗賊しあたしんちに迷惑

をかけ、あたしんちの先祖たちの生涯をも消した血塗られた犯人たちであり、子孫で

ある。

大嘘つきがここで発覚した原因は??  あたしが北畠顕家の長男 顕成の一族で

消された天皇一族だったからだ。




そうすると発發神社がなぜ御璽を使った札を使ったか??これはありもしない顕家

第三子を長い間詐称してきた相馬一族が、自分たちも北畠であり顕家の子だと

アピールした結果であっただけ。相馬一族の成り済ましだから、誰も信用する事

は許されない。そして信用してるヤツはあたしがどれだけこれを拡散しているのか

知れば、よそからその場所が即効でマーキングされる恐ろしさを知るがいい。

これが正しいもの

イメージ 1


ところが一番やってはいけない事だったのをあたしに指摘しされても、

ずらっとしてその札を飾っているのが相馬藩であり、これは

あたしのじいちゃんがやってきた事を真似した殺されるべき行為である。

犯罪者の成り済まし相馬胤道と相馬和胤一族↓

イメージ 2




そしてその発發神社は誰も撮影も乗り入れもするなとしている張本人たちが

あたしから祟られてる張本人の相馬藩であり相馬という苗字の連中である。

そして顕信の敵が吉良であり結城(現在の中村)であり相馬である。



そして、コイツらの成り済ましがあったからこそ 相馬の発發神社とかいう場所に

顕家の子と松代の墓があるなどと、浄土真宗で相馬藩の畠中正一がブログで書いた

わけ。そのために、熊本大震災起きたわけ。

相馬藩自体が殺されるべき行為を繰り返ししてきたなり済まし盗賊である。

相馬の教育委員会 南相馬教育委員会 すべてにおいて過去の内務省がその泥棒

行為と盗賊行為を正当化してきた大本であり、あたしんちの家系から出たとかいう

過去の人間たちは相続者をとことん苦しめた犯人だから。

その畠中がやったことからして、その背後に京都の浄土真宗がいてもおかしくない。

宗教は金になるか??

すべてあたしんちから盗んで生きてきた連中だ。




そいつらが土足で何度もうちへあがりこみ、金を出させた勘違い盗賊武将たちだった

ことはうちのじいちゃんの記録ではっきりした。



相馬一族をこの先何千年もいたぶり尽くしその子孫末代まで延々と狙い途絶えさせる

のがあたしの一族からの現在の言葉だ。

あと幾世橋に発發神社があるとされてるわけだが、この幾世橋はうちの先祖に

いったい何をしてくれたのかな??



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現在も原発事故による避難指示が継続しているため、町内への立ち入りは制限されてい ます。 初発神社 全景 初発神社全景の写真. 本殿 横から 本殿横からの写真. 本殿内部 本殿内部の写真. 附棟札 附棟札の写真. 当社の本殿は、相馬中村 ...