今の天皇家は欧米に作られた日本人の命の対価を 財閥にしている朝鮮半島子孫で 侵略者子孫


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893 :世界@名無史さん:2015/11/06(金) 21:26:08.58 0
青少年性犯罪者が「米兵の真似して何か悪い」と開き直る 

 当時の憤りを取材して『黒い春《米軍・パンパン・女たちの戦後》』を1953年に五島勉氏が出版している。その内容は、調書よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。 
五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など1000人にも及ぶ面接にもとづいて占頷下の空白時期をまとめた 

五島氏は「印刷ミスではない」と断わってこう記す。 「T子(十一歳・武蔵野市小学五年生)R子(同)A子(同)の三人は、十月(中略)武蔵野の林のなかを仲よく手をつないで歩いていた」  
《キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子がおそわれ、次々に米軍の餌食になってしまったのだ。彼女達のスカートは切られ、何か起こったのか全然わからなかった。 
R子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った》(要旨、以下同) 

 このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。 
 《N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三白のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。 
彼等の総数は二百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく四十故人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された》 

 「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」 
「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」 

 そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」--慄然とする内容である。