日本人兵の頭蓋骨 1個25ドルってか・・・・覚えとけ 25ドルだ

889 :世界@名無史さん:2015/11/03(火) 22:29:00.64 0
http://rekisi.amjt.net/?p=2567 
アメリカ軍は、捕虜を取らなかった 

ニューギニア戦線でのオーストラリア軍やマッカサー指揮下の第41師団は、「 捕虜を取らない 」つまり武器を捨て両手を上に挙げて降伏しようとする日本兵や、既に降伏した日本兵を殺すことで有名だった 。 
日本軍も負傷兵や捕虜に対する連合国側の殺害に関する情報をつかんでいて、戦時中の日本からの対米宣伝放送 ( 東京ローズ )では、第41師団のことを 「 屠殺者、Slaughterer 」と呼んでいた。 
終戦直後、ある米陸軍大尉が公表した記事には、「 第41師団、捕虜を取らず」 という堂々たる見出しが付けられていた。 
この師団が例外的に日本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために捕虜が必要な場合だけであった。 (『容赦なき戦争』(副題)太平洋戦争における人種差別、カリフォルニア大学教授ジョン・ダワー著 ) 

軍事歴史家 デニス・ウォーナーは 1982 年に出版した日本の特攻隊に関する本の中で、ブーゲンビル島での自らの体験を紹介している。 
そこで彼は、投降しようとした日本の負傷兵を、オーストラリア軍の司令官が射殺するように命じるのを目撃する。 
「 しかし彼等は傷つき、おまけに降伏を望んでいます」と、日本軍の大規模攻撃が失敗に終わったあとの戦場で、部下の大佐が司令官に反論した。 
「私の言うことが聞こえただろう」と、両手を挙げた日本兵からわすか数ヤード離れただけの少将(司令官)は答えた。「 捕虜はいらない。全員射殺してしまえ 」 そして彼等は撃たれた。 

890 :世界@名無史さん:2015/11/03(火) 22:29:32.06 0
昭和20年4月7日、沖縄への海上特攻に赴いた戦艦大和をはじめ巡洋艦矢矧(やはぎ)など2隻、駆逐艦3隻が敵の空襲を受けて沈没した。 

「現場の海面で浮遊物につかまり漂流中の無抵抗な乗組員に対して、空母を飛び立った米軍戦闘機の群が執拗に来襲しては情け容赦もなく機関銃を撃ちまくり殺戮(さつりく)した」 (矢矧の原艦長の証言) 

「この悲惨な状況をあざ笑うかのように、 米軍機は何時間にもわたって、無抵抗の漂流者に執拗な機銃掃射を加え続けた」 (『大和と運命を共にした第2艦隊司令長官』伊藤整一著) 

同様な残虐行為は ニューギニア近海でもおこなわれた。昭和18年3月3日に起きたビスマルク海戦の結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船8隻と駆逐艦4隻が敵機の攻撃により沈められましたが、 
沈没した日本の艦船からボートや筏(いかだ)で逃れ、浮遊物につかまり漂流中の1,000名の兵士達に対して、アメリカとオーストラリア軍の飛行機が低空から機銃掃射をおこない、 
機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、映画撮影の カメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けたのです。 
(『容赦なき戦い』ジョン ・ダワー著 ) 

硫黄島の洞窟内から戦後米兵により持ち去られた日本兵の頭蓋骨は 1,000個にもなる。 
彼等はそれでロウソク立て、灰皿やペン皿を作ったといわれ、また硫黄島で戦死した日本兵の頭蓋骨と称するものが、ロサンゼルスの骨董店で1個25ドルで売られていた。 
( 『硫黄島いまだ玉砕せず』上坂冬子著 )