んじゃあたしのブログはアメリカ人もロシア人も中国人も中東人も欧州人も見てる。

そこで過去 宗教についてもかなり調べてきた。

過去形では完結したのか??と思われるだろうけど、あたしはコツコツやる派

だから完結なんてしない。

そんかわり、考え直りしたり見直ししたり、考えが変わったら変わったことを

伝えるようにしている。

その考え方や起きた理由いろんな背景を調べるのは、まずデータがないと

はじまらない。

世界じゃ、それをあんまり隠さなくなってる。

それを出せば命が狙われるなんつーことが少なくなってるとすれば

それはあたしのおかげだ。

これはあたしが世界から認められてるということだ。



一部は解釈の誘導されてるか??と思われるものがあったとする。

しかし、あたしは一度で決めないから その数日後 半年後に

やっぱり・・・と書き出すこともあるから、覆ることもある。



ここは 世界が信じてる聖書と違う。

聖書では結果を出し決めて そこから何千年とその結果への考え方まで

方向付けしている。実際に方向付けしてきたのは神父たちやそれを使う権力者

だったのが事実なんだけど。



あたしはさらに聖書の上をいってるから、こう思うと提示したり

こうしろと提示していても

空気を読み 多少は風向きなんかも見て 待っていることもある。

しかし、方向性が見えれば すぐに手立てを作る これはとにかく早い。



こういう資質が 過去 本家本元の風林火山を見せてやると

アメリカに提示したもの。そのもの。



そんなあたしが 最近考えてるのが、おお神よーの神の存在

最近は やたらとそれを考えさせられるものを観て、善悪の判断をとるために

裁きの前に神に誓ってという姿勢を

「ああ だからこの人たちは神が必要なんだ」

と思うようになってきた。



キリスト教のうんたらかんたらではなく

ただたんに、この人の前では嘘をついてはいけないという 「この人そのものが

必要で、それを神と位置づけしてるんだな」

そう考えるようになった。



この人の前では嘘をつけない この人

それが神という位置づけなんだなと。



それがないと、嘘だらけでもOKってちょっとよろしくない環境を世界で作って

しまうんじゃないかと。そのための神であり、そのための秩序のバランスを

とる存在 それが神なのかと。




バビロンでは共通の言語があって しかし世界が神を越えようとしたため

神に届こうとしたために、神は共通の言語を民から奪った

その時から言語は各々 バラバラになった



今 神に近づこうとしたのか 翻訳がさらにピークを迎え 共通の言語になって

きたところ。



だからあたしは過去 バビロンとは自分だと書いている。

しかし また 怒らせたら、何が起こるかわからないというリアルに直面もしてる。

今までは 言語違いで嘘がバレなかった

しかし通訳も含め どんどん言語の解釈が土地に沿って 

かなり正確になってきてる。それができる背景には人の移動も含まれてる。



文化財 英雄神話 世界のひっくるめて、世界常識も変わる事も出るはずだ。