人肉を食うヒト 日本で起きた宗教に関する事案 牛首

いつぞや買ってたこの本 ようやく見たっけ 人肉を食う日本人っつーものを発見した

なので、海外で人肉を食う日本人っていう単語は完全否定できない事になった。

ただ、ひとつ日本人が好んで人肉を食うのかっていう点は違うと否定する。

この本を見ていると飢饉で餓えに苦しみ食ったようなフシがあるから。

これ 宗教と飢餓が合体して起きた事案だ。

そのうちの一つ


ja.wikipedia.org/wiki/天保の大飢饉 - キャッシュ
日本の飢饉 · 江戸時代の災害 · 江戸時代の経済 · 1833年の日本 · 1834年の日本 · 1835年の日本 · 1836年の日本 · 1837年の日本 · 1838年の日本 · 1839 ... 最終更新 2015年4月13日 (月) 16:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

www2.plala.or.jp/shyall/nenpyo/tenpou.htm - キャッシュ
天保二年(1831), 2.18, ロシア船が蝦夷に侵入、役人と交戦. 天保三年(1832), 7. 3, 儒者・帆足万里、豊後日出藩家老となり、藩政改革を開始. 8.16, 水戸藩、海防掛を 設置. 8.19, 鼠小僧、小塚原で処刑. 天保四年(1833), 12.27, 三河田原藩・渡辺 ...

ちなみにうちには天保時代頃の土地台帳みたいなもんがあった。

そしたら事件概要

東北とされてるが、その村で牛の首をかぶったおかしなヤツがフラフラと現れた。
不審に思った村人がその人間を追い払おうとしたら、近隣の村の住人たちが現れて

牛追い祭りじゃ 手出しは無用」と大声で口々に叫び その男を連れ去ったという。

当時は死人の体さえ貪り食らう事さえあったらしく、その不可解な事件は家畜の牛を食い尽くした隣村の連中が牛追い祭りと称して病弱な村人から順番に牛の首をかぶせて「生け贄」として狩っていたのだろうと役人は推測したという。今では廃墟となったその隣村ではすさまじい飢饉を耐えしのびながら、これは牛の肉だと自らを言い聞かせて仲間の肉を貪っていたのだろうと。

そして翌朝役人が村民台帳を確認したところ、大木の根本に埋められていた人骨の数と台帳の村民数が一致したという。

ちなみに石川県の牛首村とこの事件は合致しないらしい。

が、合致する点は牛と牛の首 そして牛頭天王信仰が匂うってこと。

確かに時代背景的に牛は昔から人間の生活の営みにかかせなく置いていたものだろうが、怪奇事件と結びつくならばこれは忘れてはいけない事件。

これが江戸時代後半 天保の大飢饉の一部地域での惨事。

日本軍がかつて人間の死体の肉を食ったという場面が同じく飢えと飢餓によるものなのは100パーセント確実。

そんな餓え方をさせた当時の軍部に問題があるし、第一そんな事案があったならば
うちの先祖が金貸してくれと言われて調達した9万両は人命救助に使われたのか、それとも相馬藩藩主が東京の一等地を近衛から買う資金に使ったのか、そんなのは知らんが、貸した金を返さずにやり逃げしたまま、貴族きどって自分らの家系はすごかったんだと神化するのに金集めして、宣伝していることがとても許せない。

その9万両は今にして90億相当

さらに真野村の建築代金として1億50万相当の請求書や催促書もある。

なんでうちの先祖が請求されなきゃならんのや?? そしてそれを払わないなどと集団で嫌がらせもしてんだろうが。

役所の金をなんでうちが払わなきゃならないのか

佐藤雄平 調べてみろや 元福島県知事 佐藤雄平

あと自民党 亀岡よしたみ コイツらにきっちり調べてもらわないとうちの先祖たちが浮かばれない

なんでこんな大金 請求されなきゃならんのか


うちの先祖は南朝天皇として即位してる そんなの百済まみれの京都や奈良 東京にどう申請して報告したのかもしらないが、血統としてそうなんだと残したものだ


それと別にとてつもない金を請求されてやり逃げされてるこの過去先祖たちがどんだけ泣いたかわからない事案を絶対に解決してもらわなければならない。