南総里見八犬伝は、南北朝の戦いそのものを描いてる。


曲亭 馬琴(きょくてい ばきん、明和4年6月9日1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日1848年12月1日))は、江戸時代後期の読本作者。本名は滝沢興邦(たきざわ おきくに、旧字体: 瀧澤興邦)で、後に(とく)と改める。号に著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)など(#名前について参照)。
代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である[1]

八犬伝[編集]

南総里見八犬伝』の執筆には、文化11年(1814年)から天保13年(1842年)までの28年を費やし、馬琴のライフワークとなった。
一人息子の興継は、山本永春院に就いて医術を修め、文化11年(1814年)には宗伯と名乗ることを許された。文政元年(1818年)、馬琴は神田明神下石坂下同朋町(現・千代田区外神田三丁目、秋葉原の芳林公園付近)に家を買い、ここに滝沢家当主として宗伯を移らせた。文政3年(1820年)には宗伯が陸奥国梁川藩主・松前章広出入りの医者となった。馬琴の愛読者であった老公・松前道広の好意であった。宗伯が俸禄を得たことで、武家としての滝沢家の再興を悲願とする馬琴の思いの半ばは達せられたが、宗伯は多病で虚弱であった。