松浦武四郎氏


  これ一枚だけだけど冊子になってるものだ。 

松浦 武四郎は、江戸時代末期から明治にかけての探検家、浮世絵師、好古家。名前の表記は竹四郎とも。諱は弘。雅号は北海道人、多気志楼など多数。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。Wikipedia

松浦武四郎←菅公大好きかい へぇ~

余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。天神(菅原道真)を篤く信仰し(天神信仰)、全国25の天満宮を巡り、鏡を奉納した[5]。好古家としても知られ、縄文時代から近代までの国内外の古物を蒐集し、64歳のときには、自分を釈迦に見立て古物コレクションに囲まれた「武四郎涅槃図」を河鍋暁斎に描かせている[7][8]。また、明治3年(1870年)には北海道人と号して、「千島一覧」という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。

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この、まわり真っ黒で字が白い書物はいったい何??

あたしんちにあんだけど、こういうの

あと、うち帰ったらブログにあげてやるわ。