戦慄の1500年代 舞台は岩代
伊達+田村庄司氏 VS 大内氏+畠山(二本松)氏
政宗とずいぶん、えぐい事をしてたな
相当ブチギレたっつーのもあんだろうが、ここに宗教臭さが出てくるかどーか
封印とかなんとかってなれば、どこぞの連中と思考は同じになるから。
二本松義継
生涯[編集]
天正13年(1585年)、伊達政宗が岳父・田村清顕と共に大内定綱を攻めると、定綱と姻戚関係にあった義継も政宗から攻撃を受けた。義継は政宗に降伏を申し出たが政宗は義継を許さず、二本松付近のわずかな土地を除いて所領をことごとく没収し、大名としての地位を維持できない状況にまで追い込もうとした。この条件は政宗の父で隠居の輝宗や伊達成実らの斡旋で緩和されたものの、政宗を深く恨んだ義継は、10月8日に宮森城に居た輝宗の許へ参上した際に、輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとしたが、途中の高田原で政宗に追いつかれ輝宗もろとも射殺された(粟之巣の変事)。享年34。あるいはこの時輝宗と刺し違えて死んだともいう。義継の遺体は政宗により斬り刻まれ、その上、藤蔓で繋ぎ合わせて無残に吊るされたという。