一神教の信者のくせに八百万も神様のいる国に来るとか罰当たりな←八百万の神の上にいる神とアラーが合体してるから問題ナシ


ムスリム達はそれを知ってるから うじゃうじゃとやってくるんだ

一神教のはずなのに なぜ日本に集うのかの答え

一神教の神は日本の八百万の神社にある神より上であり それがバビロンだと

わかった上で余計に集まる

キリスト教 ユダヤ教 イスラム教 ヒンズー教の上にはバビロンしかないから

だからヒンズー教インド系 アフリカ系が

中東パキスタン バングラディッシュ イラン アラブ イスラム教の系統が

同じ傘の下に集まってしまう

ヒンズー イスラム系統が 教義の中に同じ層の神がいるって見方をしていて

それは当たり前だ もともとはバビロンの民だ 彼らが。

彼らが何百年と欲してきたものがここにあるのだから 彼らの渇望してたものは

完璧 満たされている状態。

当然 来るよ。

たぶん 日本が天竺みたいになってる。



メルケルはバビロンにはなれなかったねぇ

そしたらムスリムとヒンズー系が日本に来たら、自分らとなじみのあるものに

たくさん出会うことになる。

それが梵字だったり 拝火だったり 河川だったり 自然だったりするから。



ヒンズーはやっぱり 川と共に生きてきたからね

ヒンズーは死んだ人を川に流してた

日本のどっかの宗教では厄を人にかぶってもらい流してた

心のあり方が、まったく違うのさ。



これは生まれた時から教えられる感性が引き継がれてるわけだから

死者を天界へ送り出してやろうという精神と

厄災を何かにかぶってもらって流す精神は

どちらも水に流す行為でありながら、まったく異なるもの。



その厄災を誰かにかぶせるというのはやめなさいと言ってるのは

ちょっと考え方間違うと、生きたものが厄災と考えた人はその人がまだ生きてても

流そうとするでしょうと。流れてくれたらラクになるという風潮が口伝えで

残れば、闇で人流し行事が起きるんじゃないの??とあたしは考えてるから

そういう考え方がエスカレートしないように

実盛と特定し かぶってもらうという決め方をやめなさいと言ってる。

やるんであれば、人を特定せずにわら人形でも紙の人型でもいいから

無特定にしなさいよと言ってる。



文字面でこう書くと、日本人の一部宗教に 良くない何かを感じるだろ??

これ わかる人にはわかるんだよ あたしの言ってることが。



そしたら昨日 たまたま韓国で 土地に定着してる犬の保護化を進めたいと

動きがあると書いた。それ 5ちゃんにあったからわかったんだけど。



そしたらこの狛犬というポジションなのか

ちょっと日本の気持ち悪い宗教をまたもうひとつ書いておく。

それが犬神伝説。ゆうべは、日本人は犬を大事にすると書いてた人たちいたけど

忘れるなという意味でここに書く。

昔 それは平安 鎌倉時代頃だろうか

大分方面だよな??

犬を生き埋めにし、虐待し、生き埋めになってワンワン吠える犬に何も飲ませず

何も食わせず、犬が発狂してきたところで犬の首を刀ではねたと言う。

その犬の首は怒り狂ってその首を落とした人やそのまわりの人めがけて

噛み付いていったという話だったかな??

そこまでしたのは、とても強い神さまにしたかったという鬼畜精神と自己願望の

塊だったからだろう。その犬の首をあとでまつったそうだ。それが犬神伝説なんだ

という記録が一部地域にある。

これ 日帝の鬼畜を疑うどころか、そのまんまだと思う。

あたしはここしばらく日本人はいい人という伝説は、一部の人種による偽善から

生まれた伝説か、本当に慈善者だったのか どちらかだと思ってる。



ヒンズーは現在 死体をそのまま水葬すんのはやめて火葬してから灰を水に流すか

それ以外の方法に転じてる。

さらにイスラムでは現在 鳥葬をしていない。これらは大昔やった事だけど

病気の拡散にどちらも繋がるだけでなく環境汚染が増えるのでダメとあたしも

提示してるから、今後も復活はしない。



そしたらヒンズーの水葬は何がダメかと言うと、遺体からガスが出たり腐敗で

バクテリアやウイルスを増殖させやすい。当然発生するし。それが夏場だと

さらに増えるから。そうなると水にいろんな菌が発生し除菌しないと感染症

引き起こす。それは口からや鼻からだと効果がものすごく強いから。

さらに皮膚などの切り口などからも、感染しましたという事は起こる可能性あり

そうなれば感染症の治療薬が必要になる状態になる。

そんでは踏んだり蹴ったりでしょ??  だから人口も多いことだし、水質悪化の

リスクはなるべく取り除きましょうというのが近年の試み。

これはね 宗教でなくて科学なのよ。


この行為は絶対にやらない事 禁忌だ 許さん↓

もしかして徳川綱吉はこの伝説を聞いて 生類哀れみの令出したんじゃ・・・

犬神の由来[編集]

犬神の憑依現象は、平安時代にはすでにその呪術に対する禁止令が発行された蠱術(こじゅつ:蠱道、蠱毒とも。特定の動物の霊を使役する呪詛で、非常に恐れられた)が民間に流布したものと考えられ、 飢餓状態の犬の首を打ちおとし、さらにそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来することで怨念の増した霊を呪物として使う方法が知られる。
また、犬を頭部のみを出して生き埋めにし、または支柱につなぎ、その前に食物を見せて置き、餓死しようとするときにその頸を切ると、頭部は飛んで食物に食いつき、これを焼いて骨とし、器に入れて祀る。すると永久にその人に憑き、願望を成就させる。獰猛な数匹の犬を戦い合わせ、勝ち残った1匹に魚を与え、その犬の頭を切り落とし、残った魚を食べるという方法もある[6]大分県速見郡山香町(現・杵築市)では、実際に巫女がこのようにして犬の首を切り、腐った首に群がったを乾燥させ、これを犬神と称して売ったという霊感商法まがいの事例があり、しかもこれをありがたがって買う者もいたという[6][7]