信号







日本国内には、交流電源の周波数について、東日本の50ヘルツ(hertz; 以下、Hzと表記)と西日本の60Hzの相違がある。
これは明治時代に、海外での議論(電流戦争)に触発されて起こった、東京電燈大阪電燈との間の直流・交流論争がきっかけであった。
関東では、1887年から直流送電を行っていた東京電燈が、交流の優位性の高まりに応じて交流送電への転換を決めた。そこで、50Hz仕様のドイツAEG発電機 (AC 3kV 265kVA) を導入し、1893年浅草火力発電所を稼動させた。しかし関西では、1888年に設立された大阪電燈が当初から交流送電を選択し、60Hz仕様のGE製発電機 (AC 2.3kV 150kW) を採用した。これらを中心に、次第に各地の電力供給が集約されていった結果、東西の周波数の違いが形成された。なお、第二次世界大戦直後、復興にあわせて商用電源周波数を統一しようと言う構想もあるにはあった。