芭蕉にも世話になってるが、この人も関係ありそうだ、滝沢馬琴
そして、ここはあたしんとこに関係あり。直感。
滝沢馬琴は、犬が王を守る「オオカミ信仰」をきちんと残してくれたうちの系統だ。
そう、だから南総里見八犬伝なのさ。
オオカミと生きる姫から、限られた精鋭にその力を分け与えられて復活した勇者。これが武力行使支配の主を滅ぼす。
オオカミ信仰のあるべき姿を残した、長い年月をかけて。
命をかけてそれを残した、それが滝沢馬琴。
そして昔からあった天皇信仰は、こういう形で残された。
だから舞台があたしに関わりあるとこ。
館山方面だったのか・・・。
房州(ぼうしゅう) 安州(あんしゅう) 南総(なんそう)[1] |
東海道 |
千葉県南部 |
千葉県南房総市 |
千葉県館山市(安房国分寺跡) |
(未詳) |
1.徳島の阿波 菅公のじいちゃんゆかり
『古語拾遺』によれば、阿波国において穀物や麻を栽培していた天富命は、東国により良い土地を求め阿波の忌部氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸し開拓を進めた。そして阿波の忌部氏の住んだ所は、「阿波」の名をとって「安房」と呼ばれたという。上総国阿幡郡、上総国阿波郡、上総国安房郡という表記の木簡があり、古くは「阿幡」、「阿波」とも表記された。
2,頼朝が出てくる頃には、もういない。なぜなら移動してるから。頼朝は桓武平氏を台頭させた源氏の反逆患者。
沿革[編集]古代の安房国は、豊かな漁場に恵まれたことから御食国に任じられ、皇室や朝廷の御饌を担当した。膳氏を司る伴造氏(後に高橋氏と改称)の出自を示した『高橋氏文』によると、景行天皇が東国に行幸した折に、安房国にて磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと、膳氏の始祖とされる)が蛤(はまぐり)を捕り、天皇に料理して献上したところ、天皇の子孫代まで御食を供するよう膳臣を授かったという記述がある。そのことに由来し、当時、中央官庁の大膳職で御食津神として祀られた安房神社や高家神社などが存在する。
養老2年5月2日(718年6月4日)、上総国のうち阿波国造と長狭国造の領域だった平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を分けて安房国として独立した。天平13年12月10日(742年1月20日)に上総国に合したが、天平宝字元年(757年)に元に戻され、東海道に属する一国となり、国級は中国にランクされる。
国府は現在の南房総市府中付近に置かれ、古代末期から中世にかけて丸氏、長狭氏、安西氏、神余氏などの武士団が活動し、平安時代末期には源頼朝の再起の地となる。鎌倉時代の守護は不明。室町時代の守護には結城氏、上杉氏が就いた。15世紀半ば頃より里見氏が台頭し、戦国期には安房統一を果たして上総から下総の一部に至るまで勢力を張った。
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- 生年月日:1767年7月4日
- 出身地:江戸
- 死没:1848年12月1日(81歳)
曲亭 馬琴は、江戸時代後期の読本作者。本名は滝沢興邦で、後に解と改める。号に著作堂主人など。 代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。Wikipedia
『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房国里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である。共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣を身体のどこかに持っている。関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する。
そうするとココがまた関係あんのかもしんないな↓
最東端:千葉県銚子市 最西端:群馬県吾妻郡嬬恋村 最南端:千葉県南房総市 最北端:栃木県那須塩原市 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%9C%B0%E6%96%B9
富山(とやま) 安房随一の高峰として描かれる八犬伝世界の聖地。発端、伏姫はこの山で自害し、大団円で犬士たちはこの山に消えた。 実在する富山(南房総市)は「とみさん」と読み、標高349mの山である。「伏姫洞窟」をはじめとする「八犬伝ゆかりの地」が整備されている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%B7%8F%E9%87%8C%E8%A6%8B%E5%85%AB%E7%8A%AC%E4%BC%9D
→はい見つけたビンゴ
ほら富山だ
南総富山はこの富山の文字をとってると思うよ。