日本史捏造してる連中が捏造歴史でやった軍事作戦など日本人らの大量殺人案件だ
あと南京 つまり共産党と対立連中の多重国籍らが国家予算で公務員として働く資格の調査を徹底にやる
現在は強制解雇 いや解雇予告
クタバレアホ馬鹿くそチョン。
チョンは天皇を日王という。日本の王様というわけだ。
しかし王様と天皇(天子)は違う。全く違う。
王様は諸侯だから何人いてもいい。天皇(天子)は一人だけ。
チョンにはこの違いがわからんのだよ。
チョンの歴史では王様はいたが皇帝(天子)は居なかった。
チョンにとって天子(皇帝)は中国の人だった。
チョンは1000年余にわたって中国に朝貢臣従してきた。属国だった。
日本は違う。聖徳太子が隋の煬帝におくった国書。
「日出る処の天子 書を日没する処の天子にいたす」
中国の皇帝にタイマン張ってる。
日本人はヘタレ腑抜けのチョンとは古代から気概が違っていた。
根拠を示す
大げさ大嘘のあげく法が
中国共産党より緩い日本に逃げ込み、手っ取り早い公務員に就職 それが
自衛隊であること
韓国の事を見下す連中はいたって中国である事
中国共産党と南京台湾それらの中華らが分裂戦争しただけの事で巻き込まれてるのは、うちらである事
南京事件のフカシが認めれる以上慰安婦問題も過大広告に脚色し、それらの加担者が日本人らであった事
それらの犯罪がまた多くの死者をだしたのにのうのうと刑罰にかけられてない事
まだ終わってない事
終わらせる為に邪魔だから排除対象は中国人である事
●以下の証言者・記者・作家の発言及び文書は例外なくすべて虚偽であったことが確認されています。
・ 東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い
・ 中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明
・ 富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
・ 舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するという
カッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
・ 曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を
調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された
・ 田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
・ 太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)
により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
・ 富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」
と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読
するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
・ 上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」で
しかもそんな命令が出たという史料は一切無し
その他
秦賢助(従軍作家)、今井正剛(朝日新聞記者)、本多勝一(朝日新聞記者) 、
鈴木二郎(東京日々新聞記者) 、石川達三(作家) 、アイリス・チャン(作家・政治活動家)
当時、南京での日本軍の殺戮行為は第一報こそ新聞等で報道されましたが、その後は
全く記述がありません。むしろ殺戮の記述は訂正されているのです。
『チャイナ・イヤーブック』(英字年鑑)1939年度版…過去の主な出来事の南京の項目で
出てくるのは昭和2年の南京暴行事件(第一次南京事件)である。南京大虐殺の記述は無し。
『チャイナ・ジャーナル』支那事変1周年特集号(英文月刊誌)1938/2月発行…日本軍による
掠奪・強姦・破壊の記述あり。殺戮の記述は無し。
『チャイナ・クォータリ』支那事変1周年特集号(英文季刊誌)1938/夏季号…日本軍による
恐怖の支配の記述あり。殺戮の記述は無し。
『チャイナ・アット・ウォー』創刊号(英文雑誌)1938/4月発行…金と掠奪品と女を求めて隈なく町を歩き
回る日本兵の記述あり。殺戮の記述は無し。
日本軍の殺戮行為の報が、一時期、新聞・雑誌で書かれていたのは事実です。しかしやがて噂は
収束に向かったのです。
●支那事変1周年の蒋介石の声名 1938/7/7 漢口
《(略)戦場や、日本占領地域では、資源財産の計り知れない損失に加えて、経験豊かな
数限りない青壮年、婦女子、年老いた人々が、大量殺戮、強姦、その他の無慈悲な蛮行を
免れることができなかった。(略)
広東を例にとろう。この町は過去2週間にわたって昼も夜も空襲を受け、数千の市民が殺された。
機関銃が悪魔のように狂いまくり、家屋が粉々になり、市民の血や肉が飛び交った。(略)》
これは「友好国への声名」の中で、「日本人の残虐行為」という章の中の文言です。
後に30万人が虐殺されたと主張する南京を挙げずに、数千人の犠牲者の広東を例に挙げてます。
つまり南京大虐殺とは作られた事件なのです。1938/7月にティンパーリの、『WHAT WAR MEANS
The Japanese Terror in China』が英国で出版され。1938年末にその漢訳版『外人目撃中の日軍暴行』
が支那で出版されました。ここからプロパガンダが始まったと言っても過言ではありません。
ほら 中国人↓不買なにやっかな
あと中国進出企業の撤退
あと入管分の仕事で国籍と不法総ざらい
刑務所には入れるな 強制送還
在日朝鮮人が隣人の日本人の感情的反応を気にしろよ
早く在コ一掃しろ
隣に元在日がいたらストレス発散に丁度いいだろ(笑)
軍服着ないで奇襲は汚いな 完全に逃げるなら、それを追うかどうかは別の機会に!
同じ資質だと軍服でなく日本の軍服来て潜入してるよ 日本軍の中で諜報活動
天皇じゃないって言ってるのに大嘘こいてるそれら
中華と中国共産党が支えてるんだな
中国最低だな
いわゆる「南京大虐殺」の最先端の議論では、「虐殺あった派」でさえ「民間人の大虐殺があった」という人は、 もう、ほとんどいません。
最新の、いわゆる「南京大虐殺」の議論の中心は、一旦とらえた敵兵の処刑に関する議論になっています。
■拘束した便衣兵(民間服を着た兵)の処刑。
組織的に降伏せず、軍人が民間服を着て逃亡を企てることは国際法違反で、 しかも敵対行為です。松井石根・中支那方面軍司令官は敵兵を対象とした
軍律を制定していなかったので、軍律審判の適用対象とはなりません。
仮に裁判にかけるとしても多人数を軍律審判にかける事は能力的に困難で あったと考えられ、この様な場合は、
軍事的必要により無裁判で処刑したとしても違法ではありません。
■便衣兵と間違えて民間人を処刑した可能性は否定できない。
兵士が民間服を着ると、兵士と民間人の違いが不明確になり、 民間人の犠牲者が増えてしまうから、
兵士が民間服を着用することは国際法で禁じられているのですから、
民間服を着て逃亡を企てていた多くの中国兵の行為が原因です。
■拘束した「軍服着用の正規兵」が多数で共謀して逃走を企てた場合。
俘虜(=条約により待遇を保証された者)であっても、多数が共謀して逃走を企てた場合は銃殺の対象となる。
■拘束した「軍服着用の正規兵」
大量の敗残兵をかかえた場合、食糧不足や収容施設の不足は、大量の敗残兵の管理を極めて困難にする事態で、しかも蒋介石軍の精鋭部隊が多く紛れ込んで
いたことも勘案すれば、もし仮に釈放すると、また武器を取って敵兵となり、また戦わなければならなくなり、味方に多くの戦死者が発生する恐れがあります。よって軍事的必要により処刑したとしても違法とはなりません。
まだ戦争は終わっていなかったのです。
批判されるべきは、
◆支那事変の発端である第二次上海事変を起こした蒋介石
◆日本軍の降伏勧告を無視した唐生智
◆安全区に侵入した中国便衣兵
◆中国便衣兵の安全区への侵入を許した安全区委員会 のほうです。
しかし百済軍である以上 これまた うちらと関係ない