お サンキュ。今昔物語に犬がこういう描き方されてるという事は、犬は愛犬として生きていた事を証明できる。


そうすると、キチガイじみた犬神伝説はカルト脳のやらかした事件という見方をして
正しいよな??今昔物語が平安時代のもので、平安時代に犬がいた事を証明できるのと、犬と一般家庭が今と同じ関係性を持っていた事を証明できる。

んじゃこれが狼か犬か、となれば犬だろう。

そうすると、食料として犬を食してた民族と日本人は文明が違かった事も指す。
そしてここに、イケニエ風習が見られない事も指す。

ということは、平安時代の文明も地域単位で違う事がはっきりする。
カニバリストが出たのはあたしが思ってる祇園祭りのある地域だ。

これ平安も現代も 同じなんだよ 価値観が。
当時の動物と接する日本人の話が 今のうちらとかなり似ているのは
それほど進化していないというか 道徳心が受け継がれてきた事を指す。

それ以外の地域でのカニバリストや おかしな儀式やってる地域が異様なんだ。



今昔物語集』とは平安時代末期に成立したと見られる説話集である。全31巻。ただし8巻・18巻・21巻は欠けている。 『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事に由来する便宜的な通称である。Wikipedia


380 :名無しさん@1周年:2016/03/07(月) 21:04:14.22 ID:1ocE6fqa0
今昔物語集巻二六第十一 
參河の國に犬頭糸を始むる語:現代語訳 

今は昔、三河の国のある郡司が妻を二人持ち、それぞれに養蚕をさせていた。 
ところがどうしたことか、本妻のほうの蚕が皆死んで、ものにならなかったため、夫は気味悪がって近づかなくなり、従者たちも近づかなかった。 
それゆえ家は貧しくなり、妻はただ二人の従者とともに、心細く暮らしていた。 

蚕が死んだ後、新しく飼うこともなかったが、一匹だけ残ったやつが、桑の葉に食らいついていた。 
これを見つけて養っているうち、蚕も大きくなり、桑の葉を投げ与えると、あっという間に食ってしまう。 
こんなわけで面白く思って養い続けた。 
「これを養ったからといって、どうなるわけでもあるまい」とは思ったが、 
ここの三四年の間は養蚕をやめていたこともあり、そのさまが面白くて、引き続き養い続けた。 

この家には一匹の白い犬がいて、尻尾を振るなど愛嬌ものであったが、 
あるとき、蚕が蓋の中で桑を食っているところ、走り寄って、それを食ってしまった。 
妻はびっくりして、残念に思ったが、まさか蚕を食ったことを理由に犬を殺すわけにもいかぬ。 

犬は蚕を食うと、妻の前に座った。 
妻は「蚕一匹養えないのは宿世だろう」と、哀れに悲しくて、犬に向かって泣いた。 
すると犬は、くしゃみをし、そのついでに、鼻の穴から二筋の白い糸を吐き出したのだった。 

不思議に思ってその糸を引っ張ると、二筋になって次から次へと長く出てきた。 
それを枠に巻きつけると、すぐにいっぱいになったので、別の枠に巻き取り、ついには二三百の枠に巻き取ったが、まだ尽きることがない。 
そこで今度は桶に巻いてそれが四五千兩にもなったところで、糸はようやく尽きて、犬も倒れて死んだのだった。 
それを見て妻は、「これは神仏が犬になって助けてくださるのだ」と思い、家の裏庭の桑の木の下に、犬の死体を埋めた。 

この糸をどのようにして紡ごうかと思い煩っていると、夫が物のついでにこの家を通りがかった。 
門の前を通りながら見れば、家の中はさびしい気配で、人がいる様子もない。 
「ここにいた人はどうしたのだろう」と思うと、かわいそうになり、馬から下りて家に入ったところ、妻がただ一人で糸を紡いでいた。 

これをよく見ると、自分の家の蚕が出す糸は黒くて節があり、質がよくないのに対して、この糸は雪のように白く、しかも光沢があって上等である。 
夫は大いに驚いてそのわけを問うと、妻はそれまでのことを包まず語った。 
それを聞いた夫は、「神仏が助けている人を、自分は粗略に扱ったものよ」と後悔した。 
そんなわけで夫はそのままとどまり、今の妻のもとへは帰らなかった。 

犬を生めた桑の木には、蚕がひっきりなしに繭を作った。それをとって糸を引くと、めでたいこと限りない。 

郡司はこの糸のことを国司に報告した。国司はそれを公に奏上した。 
それより後、この糸に犬頭糸と名づけて、天皇に奉った。いまだに天皇の御服はこの糸を材料にして作っているのである。 

また一説には、今の妻が嫉妬して本の妻の蚕を殺したという話もあるが、真偽のほどは明らかではない。