安楽死を認める方向で考えた時に起きること

ご長寿なのはいいが、長生きしてねなんて言われると逆に

生きたいけど生きられないんだよ!

なんつーご老人だって、世の中いるだろう。

リップサービスも時には 「いやいや いいよ言わなくて」

なんつー時もあんだろう。

それを決められない理由がいくつかは想定してる

というかわかってる。



ひとつは相続問題 金の問題にからんでくる。



ひとつは生きたいという意志がほんとにあった場合の尊厳を守れたかどーかという

倫理上問題

この倫理上問題は紙一重で、一歩間違うと本人の意思に反して死なせた

なんつー殺人扱いと隣あわせになる。



あたし考えてるふたつは やっぱこれ



相続で考えた場合 遺言なんつーもんもあんだけど。

これは死期を限定してない これからのお願い

死期を限定してたとしても ガンとか多いだろうけど それがわかった後とか。



そしてドクターも腕は良くても その安楽死問題の認可ですったもんだに

巻き込まれると医師免許も危険にさらされる。

長い時間と大金かけてなった職を たった一人のためになくすリスクは負えない

でしょう。当然 家族もいるだろうし。



それぞれの立場を見た時に どこが大変なのかという事を考える。



身の回りのことができなくなって なおかつ いないよ誰も

とかさ。

子供といざこざで 関われない

もう終わりたい

とかさ。



戦後あたりは子供が爆発的に増えて 同時におさがりもらったりして

貧乏に見える生活をして 勉強したり就職したりしてやっと家から出たりとかさ。

その世代だって かなり亡くなってるでしょ もう。



独身が多いと言われてる今

誰がその人の一生を ここまでと決められると言うのか

でも当人は どーしてもそこが限界だったとしたら

それは理解されてたとしても 全部 うわべの社交辞令がもたらす産物だ。

あたしはそう思う。



基本的にドクターは病気を治療し 生きることを目的とした技術職だからな。

それを生きることを目的にしてるのに ここで終わらせましょうかとは

言えないもんなー 介添え人や本人が限界にいたとしても。