だから御柱祭って古い時代の建造に関わる一大事業で、それをやるためのリスクが死人でる危険度だったのでは??

人力で大木を使って 物を作る あるいは建てるってことが

当時では一大事業でさ。

それをやる時、危険度もあるから 誰かがその危険に巻き込まれて死ぬっていう

意味での人柱って単語だったのでは??

たとえばフクイチの事故あとの動きだって、からだを張った人間の作業ありきで

こぎつけた当時の状況。

あ、それで当時死人は出してないかんな!あたしの関与した311後から最初に

死人報道認知したのは、現地内での建物の基礎をいじってて 崩れてきたから

死んでしまったというヤツで、被ばくに関してで死んだわけではなかったから。



こういう観点の人柱とかイケニエって言い方とさ

あたしの嫌うイケニエとか人柱って 実はぜんぜん違うものなのさ。

あたしの嫌いな人柱やイケニエって、お前が死ねって人間が命令してんの。

ほんでその人が死ぬの。

あとは、宗教で人の肉を食うために。そういうのが あたしの敵なのさ。

そのあたしの敵は、宗教くさいんだよって事。

この違い なんとなくわかる??

ものすごく理解してきた??

あとさ。あれだ・・・その祭りに出なきゃ諏訪にいれないんだろ??

まつりが嫌ならば人は離れていく。そんでまつりは消える。

そこの地域で 今後 考える事だ。

ただ戦後に危険度が高くなってると知られている以上、それ危険度が高いまんま

やってきたサイドにすべての責任がある。

町が廃れるのも繁栄するのも。

それはあたし含め 外部は あんまり言えないもの。