あと八幡総本山を名乗る大分 八幡信仰抹殺あったんだがこれにアンタ達加担してないか??


明治以前は三韓征伐は庶民の間に浸透し信じられていた。

これを切手にまでした。
その時代ならば、南朝ゆかりの場所に手がかけられた。

しかしそれは突然、全般的にひっくり返った。それが大正15年。
それに関与してんのは大正天皇サイドということになる。

当時乗っ取り企て書き換えに動員した連中がいる。

三韓征伐という事象を日本から消したい連中がやったことだ。

ということは、三韓征伐に関わる人たちは、この切手事件以外に殺されたと
世間は認識できるぞ??

八幡は三韓征伐の血統だ。大分が三韓征伐の血統をまつりあげる資格あんのか??
消されてなければ、三韓征伐の血じゃないんだよ わかるか??

神功天皇というのは仮としての肖像だったとしても、それだけが三韓征伐に
例えられてる これどういうことかわかるか??

大昔からな 大事な人を隠すために隠語や仮が使われてるんだ。



実在性[編集]

新唐書』列伝第145 東夷 倭日本[3]に「仲哀死、以開化曽孫女神功為王」、『宋史』列伝第250 外国7 日本国[4]に「次 神功天皇 開化天皇之曽孫女、又謂之息長足姫天皇」とある。
明治時代以前は、神功皇后天皇(皇后の臨朝)とみなして、第15代の帝とした史書が多数あった。 1926年(大正15年)10月の詔書により、歴代天皇から外された[要出典]



日本書紀』において、巻九に神功皇后摂政「66年 是年 晋武帝泰初二年晉起居注云 武帝泰初(泰始)二年十月 倭女王遣重貢獻」として、晋書の女王についての記述が引用されている。このため、江戸時代までは、卑弥呼神功皇后であると考えられていた。しかし、この年は西暦266年であり、卑弥呼は既に死去しており、この倭の女王は台与の可能性が高いとされている(ヤマト王権の項など参照)。
また、これとは別に、直木孝次郎は、斉明天皇持統天皇神功皇后のモデルではないか、との説を唱えている。


それと追記

斉明は天智 つまり中大兄 殷と斉 百済だからこの仮説はまったくナシ

卑弥呼についは完璧シャーマン これもナシ 



卑弥呼について補足すれば卑弥呼鮮卑

魏と言えば魏 しかしモンゴル系が強いかねぇ・・・。

モンゴル系が相撲伝統持ってる それを国内で広めてた諏訪神社方面はユダヤ教

だから卑弥呼はアウト

ユダヤ教がついてまわるから卑弥呼は却下

穂高神社に斉と百済の豪族が流れてきたと言って船飾ってるだろ

ここもあたしはダメ

御船まつり - 穂高神社
www.hotakajinja.com/ofunematuri.html - キャッシュ
お船の起源は穂高神社の祭神が安曇族の祖神(おやがみ)である海神をお祀りし古代 北九州に本拠があった安曇族は海洋に親しみ海運を司っていたこと、大将軍安曇 比羅夫の船師を率いての百済教援、又氏族の朝廷での活躍などで、平安時代の標山 室町 ...






あと卑弥呼↓ 鮮卑だから卑の御子 卑弥呼なのさ。

ja.wikipedia.org/wiki/鮮卑 - キャッシュ
鮮卑(せんぴ、拼音:Xiānbēi)は、紀元前3世紀から6世紀にかけて中国北部に存在した 遊牧騎馬民族五胡十六国時代南北朝時代には南下して中国に北魏などの王朝を 建てた。 目次. [非表示]. 1 歴史. 1.1 檀石槐登場前; 1.2...
歴史-檀石槐登場前-檀石槐の登場-檀石槐の死後