このムシケラ扱い あたし 被害者たちと一緒の日本人なんだけどさ
1944年( 昭和19年 )6月21日の日記には、
日本人捕虜に タバコをやり、気がゆるんだところを後ろから押さえ、のどを「 真一文字にかき切った 」というのを、
日本兵捕虜殺害の一例として教えてくれたある将軍との会話を要約している。
残虐行為に対するリンドバーグの異議は、嘲笑と 「 あわれみ 」をもって軽くあしらわれた。
6月26日の彼の日記には日本兵捕虜の虐殺、および パラシュート降下中の日本航空兵の射殺について述べている。
降伏し捕らえられた2千数百人という日本兵捕虜のうち、捕虜収容施設に引き渡されたのは僅か百人か2百人に過ぎなかった 。
残りの者たちは殺害されたが、事故に遭ったと報告された。
「仲間が降伏したにもかかわらず機関銃で撃たれたという話が日本兵に広がれば、投降しようという者などまずいなくなるだろう 」
とリンドバーグは聞かされた。
つまり黄色い猿に過ぎない捕虜を取り扱う、余分な手間や面倒がはぶけるという理由からであった。
7月13日の日記では、
「 われわれの兵士たちは、日本人捕虜や降伏しようとする兵士を射殺することをなんとも思わない。彼等はジャップに対して、動物以下の関心しか示さない 。
こうした行為が大目にみられているのだ。」と記されていた。
8月30日にリンドバーグは、
中部太平洋ギルバート諸島にあるタラワ環礁を訪ねた。
そこでは日米の激戦が行われ米軍も甚大な死傷者が出たのだが、
日記には、捕虜になった数少ない日本兵を一列に並べ、尋問に英語で答えられる者だけを残し、あとは全て殺させた海軍士官のことが出てくる。
ある仲間のパイロットから直接聞いた話によれば、後ろ手に縛られた日本人捕虜達を輸送機に乗せて収容施設のある地域に輸送する際に、彼等を飛行中に突き落とす行為がおこなわれた 。
そして報告書には捕虜全員が自分から飛び降りたと記録された。
我が国民が拷問で敵を殺し、その遺体を爆弾穴に投げ込んで、その上に生ゴミを投げ捨てるほどに堕落しているとは、吐き気をもよおす。
ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、我々は太平洋で日本人に行ってきたのである。
( 以上、第2次大戦日記、チャールズ・リンドバーグ著 )
その画像もありますが掲載はやめておきます。日本兵の首を木に吊るして飾ってる画像も拝見しました。
アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行
沖縄本島には千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。
わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。
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以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
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一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。
地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。