清水寺 (長野県山形村)


八幡みっけ


はい 次 またみっけ

そこの清水寺 元は清水寺ではない

坂上田村麻呂が再興したということは、坂上桓武平氏の棟梁みたいなもんだから
また欲したと考えると、逆にそこにあった寺ないし仏閣は、あたしんとこ系統。

また真言宗か。過去帖焼失責任 どうすんのかね??

そして、もう一つ あたしんとこ系統だと言える根拠が、坊主がいない。

うちは古い家系で、日本の寺関係の宗派 ほとんど関与しないような形になってた。
その清水寺に坊主がいないんならば、インチキ天皇家が利用してきた宗派からは独立してた事になるので、うちと一緒。

清水寺 (長野県山形村)


清水寺(きよみずでら)は、長野県東筑摩郡山形村の清水高原にある真言宗寺院で、山号は慈眼山(じげんざん)である。

概要[編集]

創建は古く、奈良時代だと言われる。現在は無住であり僧侶はいないが、保存会により管理人が常駐し、朝晩の鐘も鳴らされている。
伝説では、行基がみずから千手観音像を彫って安置したのが始まりとされ、その後、坂上田村麻呂有明山の鬼「八面大王」を退治する(この地方で大和政権に従わなかった地方豪族は、坂上田村麻呂にとっては「鬼」であったのだろう)に際して、勝利祈願のために清水寺を再興させた。清水観音は、この征討戦で大きな役割を果たしたという伝承がある(『信濃毎日新聞2012年6月20日号22面記事は、創設を729年天平元年)と断定して掲載した)。
また、坂上田村麻呂が千手観音を京都に移したことから、京都東山の清水寺になったとも伝えられる。現在の本尊である千手観音菩薩像は、左右の手を頭上に高く上げて小さな如来像を捧戴する京都と同じ清水様式である。

山中高所の寺院[編集]

清水寺は標高1200mという山中高所にある[1]平安時代には顕密系寺院は山中に建立されることが一般的で、そのような山寺は奈良時代末期から畿内に登場し始め、平安時代には地方にも広まっていった。こうした山中の寺には、その後、山中から山腹・山麓に下りて造りなおされたものが多い。中信地方で、山中から移転したという伝承を持つ寺院として、牛伏寺松本市内田)、若沢寺松本市波田)、海岸寺松本市山辺)、放光寺松本市蟻ヶ崎)、保福寺松本市保福寺町)、神宮寺松本市浅間温泉)、光輪寺朝日村西洗馬)、安養寺筑北村松場)、福満寺麻績村)、盛蓮寺大町市社)がある[2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%AF%BA_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E6%9D%91)

顕密

顕密(けんみつ)は、顕教密教を併せたもの。本来は仏教教相判釈における二分法であるため、仏教そのものを指すことになる。ただ顕密仏教、顕密体制という場合、体制側、国家側の官僧の系譜を引くものを指し、いわゆる鎌倉新仏教を含まないことが多い。またベースには「密教的思潮」ないし本覚思想があるとされている。

顕教(けんきょう、けんぎょう)とは、仏教の中で、秘密にせず明らかに説かれた教えのこと。密教の反対語。真言宗の開祖である空海が、密教が勝れているという優位性の観点から分類した教相判釈の一つである。
空海は、顕教密教を次のように区別した。
顕教
衆生を教化するために姿を示現した釈迦如来が、秘密にすることなく明らかに説き顕した教え。
密教
真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えである故に容易に明らかにできない秘密の教え。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E6%95%99